考えたこと2

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本当はわかってない
昨日の続き。

圓楽が「気骨のある落語家」という、気骨、の意味がわからないと次男が言う。

気骨とは…、うーん、そうやなあ…、結局答えられなかったのだが、次男が辞書をひくと「自分の信念を曲げない強い気性」と書いてあった。

「そうそう、そういうことや」と言ったら、「人に説明できないということは、わかってないということや」と言われた。
「お父さんがそう言った」らしい。
まあ、そういうことやな…と思う。

人に説明できて、その意味を知っていると言える。
ただ、漠然と意味がわかっているのは、わかっているつもりということだ。

気骨という言葉、難しい。
意味は何かといわれると、気骨があるということは、気骨があるということや…という繰り返し(トートロジー)になってしまう。

人間、だんだんとアホになっていくのではないか。

文化とは何か?文化とは…、文化ということや。
人間とは何か?人間とは…、人間ということや。
勉強とは何か?勉強とは…、勉強ということや。
人生とは何か?人生とは…、人生ということや…

それらに定義を与えていくということが、哲学者の仕事だろう。
ぼくら凡人は、知れば知るほどそれらはその言葉でしか語れなくなる。
そう簡単にひと言でまとめられない、という経験を積んでしまうからだ。

だから、本当はわかっていない、ということになる。

しかし、本当はわかっていない、ということをわかっていることは大事なことだ。

しかし、次男にそれがわかるのは、まだまだ先だろう。


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