考えたこと2

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渡世人
男はつらいよの車寅次郎の決めぜりふ。

「そこが渡世人のつれえところよ」

この渡世人という言葉ももう死語だろう。
昭和50年代はヤクザ映画の全盛期。
渡世人と言ったら、ヤクザもの(ヤクザのような人)ということを想像する。
言葉通りに読めば、世を渡る人という意味だ。
goo辞書を見ると、「ばくちうち。博徒。やくざ。」と書いてある。

要はヤクザもののことだ。
最近の若い人は、ヤクザ=暴力団だと思っているが、そうではない。
極道ものというか、世間のルールから外れて生きている人、というような意味だと思う。

だから、「そこが渡世人のつれえところよ」というと、「それは世間の堅気の人たちと違ったルールがある」ということだ。

正月は家族で集い、お雑煮を祝う。
でも渡世人はその時期がかき入れ時だから、旅に出る。

男はつらいよの男というのは、渡世人のことかもしれない。

昭和の時代、暴力団とは違う、渡世人やヤクザと呼ばれる人がいた、ということだ。

実際にいたかどうか、ぼくは知らない。

でも確かにそういう商売はあったなあ。



| | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
アホなこと
時にはアホなことをやるのが好きだ。

アホなこと、というのは親しみを込めて、「アホなことやってるなあ」という意味のアホなことである。
やっている方もそれがアホなことだと分かっている。
それでも、いちびってやっている。
どちらかというと、アホなことを楽しんでいる。

落研の時はよくやった。

当時落研はもう市民権を得ていたが、それでも落語をやること自体、アホなことやってる、と思われただろう。
それが何となく楽しかった。

そのメンバーで、延々としりとりをしたり、一人ずつのテーマソングを作ったり、市バスの中で大きな声で芸名で呼んだり、夜中まで部長選挙をしたり、とんでもないホラを吹いて、新入生をだましたり、自分は試験の答案に、こんなことを書いて単位をもらえたという自慢話をしあったり…。

アホなことをやるのが、楽しかったし、何となく誇り高かった。
そういう年代だったかもしれない。

今でも、アホなことがやれる人が好きだ。

そこに、人間の価値の大きな部分を置いている。

なぜなら、アホなことは人間にしかできないからだ。
本能に従って生きている動物には、アホなことなどない。
だから、アホなことはできない。

人間だけがアホなことができる。

それが、愛すべき人間だと思う。
| | 考えたこと | 00:54 | comments(4) | trackbacks(0) |