考えたこと2

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幸福の経済学
日曜日の読売に「幸福度をはかる経済学」という本の紹介がでていた。

国民総生産ならぬ国民総幸福量(GNH)という言葉がある。
ブータンではこのGNHが高く、国民に「今幸せか?」と尋ねると90%以上が肯定するらしい。

一方、日本などの先進国では「幸福のパラドックス」、すなわちGNPが拡大しても生活満足度は上昇していない、という状況が観察されているという。
そして、心理学と経済学の融合と言われる、行動経済学が登場したことにより、人間の合理性を前提とする従来の経済学の理論と、現実の人間の行動が矛盾するということも明らかになってきた。

「幸福度をはかる経済学」という本では、幸せに関する調査データーに計量経済学的手法を適用して、どのように人間が幸せを感じるかを明らかにしてしているらしい。

人間が「意思決定する」ときと「結果を享受する」ときでは、幸せの感じ方が異なるという分析結果があるらしい。
例として挙げられているのは、通勤に片道2時間かかるマイホームを購入すべきか、という問題。
人間は「マイホームを持てる身分になった」という幸福感を過大評価し、「2時間通勤の苦痛」や「家庭団らんの喪失」は過小評価しがちだという。
しかし、結果はこれと逆。
マイホームを得た幸せにはすぐ慣れてしまい、家族団らんの喪失による苦痛は延々と続く、という。
このような予測ミスの存在を前提とすれば、国民の幸福度をあげるために必要な政策も見えてくる、という。
もちろん、「幸福の経済学」の学問としての体系化はまだ不十分な段階であるが、研究者たちはこの研究を通じて、経済学に温かい血を通わせようとしている、という結びの言葉。

経済学というと、人間は自らの欲求を満たすように合理的に行動する存在、となっていたが、最近は矛盾と偏見に富んだ存在だということになっている。
行動経済学の研究者がノーベル賞を得たのは、その革新的な取り組みのためだろう。

経済学というのは、インセンティブの学問だという本を読んだ。
何でも経済的な見方をすると、金の亡者と言われることもあるが、「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある。
もちろん、「武士は食わねど高楊枝」という反対もまた真なのだが、人間はインセンティブで行動を決定する動物だ。
それを研究する、ということは自らの行動の真の意味を知ることでもある。
だから、経済学は大事だと思っている。

しかし、残念ながら3000円以上の本を買うインセンティブとしては、この記事では弱かった。

記事の内容は面白かったが…。


| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
原発 是か非か
山本七平を30代の頃よく読んだ。
日本の思想家であり、文明批評家、出版社社長、キリスト者…、いくつかの顔を持っていたが、自分の戦争体験から、日本人論を展開したことが一番の功績だと思う。

最初に読んだのは、「私の中の日本軍」。
何気なく本屋で買って、読み始めたら目から鱗のことばかりだった。
この本を読んで、朝日新聞の史観は、結局日本を戦争に導き、戦後の日本をも「まともにものを考える」ということからミスリードしたということがわかった。
もちろん、朝日だけが悪いわけではないが、「大朝日」に代表される日本の知識人の思想が「何かおかしい」とぼくには思えた。
戦後60年以上経って、今の朝日新聞の凋落を見ると、ようやく朝日的思想にとりつかれた日本人もマシになったのかなと思う。

「ほとんど全ての人が指摘した事だが、日本的思考は常に「可能か・不可能か」の探究と「是か・非か」という議論とが、区別できなくなるという事であった。『ある異常体験者の偏見』」

こういうことが書いてある。

これは「原発をすぐに停止すべき」という人の議論に見られる日本的思考だと思う。

原発を停止する、ということに関しては、是だと思っている人は多いだろう。
しかし、それをすぐに停止、ということになると、それは不可能だと思う。
冬の北海道は寒い。
電気が止まれば、いくら灯油があってもヒーターは動かない。
そんなことはできないし、生産者の視点に立てば、エネルギーコストは重要だ。
だから、必然的に不可能、ということだと思う。

でも、議論は是か非か…、で進む。

ことはそういう問題ではないのだ。

亡くなってだいぶ経つが、山本七平が生きていたら、今の状況を見てどう言っただろうか…。


| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |