考えたこと2

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電気の安定供給リスク
電力の安定供給リスクという記事があった。
以下にそれを要約する。

2020年の9月に電力の「容量市場」というものの価格が決められた。
この「容量市場」というのは、安定した電気を供給するために導入されたもの。
これは送電と発電を分けて、電気を作ることに関して自由化を進めた結果、複雑になってしまったので、できたものらしい。

そもそもの発端は、2011年11月に民主党政権で既存の地域独占の電力会社を分離・分社化して、電力自由化が図られたこと。
経緯を見ると、原発事故の原因を東電だけに負わせたが、賠償金や廃炉費用の問題で原子力損賠賠償・廃炉等支援機構という組織を作り、国が財政支援を行うスキームを作った。
原発事故を東京電力だけの責任に押しつけ、他は一切責任なし、ということにしたかったのだろう。

本来なら、その時点で東電の株主は紙切れの株券を持つはずだった。
そうすればよかったのだが、東電は存続して、機構が裏でお金を出すということになった。
これはマスコミや一部の似非学者が原子力の危険性を無責任に煽り、「電力会社は悪」という意識を刷り込んだ効果も大きいと思う。
電力会社はまったく悪ではないとは言わない。
しかし、悪だと決めつけるのはどうかと思うのだが…。

そこで、こんな事故を起こした電力業界全体に対しても、何とかしないといけない、ということになってしまった。
だから、電力システム改革をしようということになった。

もちろん、原発を止めてしまったから、電気代が高騰した。
当然の結果だ。
他の原発まで全て止める必要はなかったのに、菅直人首相が要請して、法的にはなんの根拠もなく止まってしまった。
電力会社にも、原子力村にも悪いところはあったとは思う。
いきなり原発を止める意味がわからないが、それはさておき、上がった電気代を下げようということで、「自由化」という声が高まった。

そこに経産省の思惑も加わり、ここがチャンスと日本のエネルギー政策を東京電力から取り戻すために、東電を分離してしまった。
経産省は電力システムを効率化するという名のもとに、イニシアチブを取ったということだ。

ちょうど、欧米では「電力の自由化」が行われており、安倍政権で2013年に「電力システム改革に関する改革方針」が出て、「安定供給」「電気料金抑制」「需要家の選択肢や事業者の事業機会を拡大」という3つの方針が決まったということになる。

それから実際に施行されてきた政策は中途半端で、送配電事業こそ分離されたが、発電と小売りを分社化したのは東電と中電のみ。
その他の電力会社はまだ一体となっている。
自由化というのなら、全ての電力会社の発電と小売りを分離するべきなのだ。

さらに、東電と中電は発電と小売りを分離したが、それぞれの火力発電部門を統合して、JERAという会社を作った。
これは国内の発電容量の3割を持つ世界有数の発電事業者になる。
自由化によって、競争が促される状態になったとはとても言えない。

さらに、従来の電力会社の「地域独占=電力供給責任」が自由化によって解除された。
つまり、電力会社は従来地域独占することによって、法的には何も言われていないが、地域の電力供給の責任を持っていた(あくまでもボランティアとして)のに、それがなくなったということになる。
つまり、ここの発電事業者は日本全体の需要を満たすための設備投資の義務はなく、市場メカニズムに応じて供給をする、ということになる。
これが世にいう自由化ということだ。
つまり、自由化(価格の安い発電を選べる体制)と安定供給は背反している。

電気は貯めることができないので、停電しないためには常に需給を一致させる必要がある。
ところが、ここに再生エネルギー(再エネ)が入ってきた。
原発に反対するのはいいが、どうするのかという長期的な解は、再エネ。
それを推進しようということで、震災後メガソーラー(大規模太陽光発電)がいろんなところに作られた。
ぼくが南相馬に行った時も、太陽光パネルが散在しているのを見たのを思い出す。

当時の太陽光発電の買取価格はFIT(再生可能エネルギーの固定買い取り制度)で、作れば儲かるという値段だった。
要は国が補助をしまくったということになる。
どんどんできた再エネ施設で、総計1億kW 以上が認定され、不安定な再エネの発電量を埋めるために火力発電所は稼働率を下げ、コスト高になった。
一方で、日が照ったり、風が吹きさえすれば発電できる再エネは、作ってしまえばFITで高く電気を買ってもらえるので濡れ手で粟の商売になった。

結局、電力の安定供給にはジャマになる、無責任な新電力業者が増えた。
彼らは電力の調整には全く関わらないし、再エネで作った電気を売るだけだから、いい商売だったのだ。

そこで、供給責任を誰も負わないのはまずい、ということで電気の「容量市場」が作られた。
いろんな仕組みができつつあるが、まだまだ不完全であり、今回のように電気が足りなって、だれが供給責任を負うのかということになると、ややこしいことになる。
これらは全て民主党政権時代の負の遺産だ。

今回の電力不足で大停電でも起こると、事態は改善するのかもしれない。
残念ながら、国民の意識が高まらないと、ねじ曲がってしまった電力問題は元に戻らないということだ。

以上が記事の内容。

こないだ書いたが、立憲民主党の国会議員でも電気代が急に上がって困るという状態。
そういう制度を作ったのは誰なのか。
胸に手を当ててよく考えてほしいものだ。



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