考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< February 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
聴覚
人間の五感の中で、最期までコミュニケーションできるのは聴覚かもしれない。

嗅覚と触覚、味覚は感じるだろうが、意味はないだろう。
視覚は意外と早く終る。
こないだ血圧が下がった時、視界が暗くなった。
視覚は膨大な情報量を処理しないといけないが、聴覚はどちらかというと軽い処理だろう。
動画と音楽では、データー量に100倍位の違いがある。
ある程度の活動力がなければ、視覚は機能しないのだ。
だから、最期まで残るのは聴覚になると思う。

目は開かないと見えないが、耳は常に聞いている。
ネットで調べても、そういう記事がたくさん出てきた。
なかには危篤状態でも、周りで話している声は聞こえている、という記事もあった。
そうかもしれない。

生まれる前、きっと胎内でも音は聞いている。
音で初めて外界を知るのだろう。
人間は音を聞いて生まれ、音を聞きながら死んでいく。

人間と動物の違いで一番大きなものは、言葉によるコミュニケーションだ。
言葉を持ったから、複雑なことを考えることもできるようになった。
最初は耳で聞いて、言葉を聞いたり伝えたりしたはず。
聞けなければ、話せない。
やはり聴覚は大事だ。

そういえば、小林秀雄が文字のない昔は、きっと一度聞いて覚えていることがたくさんあったと言っていた。
文字を持つことで、その能力が退化したのだという。
そうかもしれない。

死ぬ時に聞こえる音はどんなだろうか。
家族の声の場合もあるし、病院ならスタッフの声かもしれない。
一人なら、テレビの音だったりするかもしれない。

信仰があれば、その言葉を聞けるかもしれない。
でも、ぼくはそんなものはない。
家の宗旨は浄土真宗だが、南無阿弥陀仏という言葉にはそんな思い入れはない。

遺言に、死ぬ時に聞きたいもの、というのを書いておくとよいかもしれない。

若い頃に聞いた音楽とか、好きだった演芸とか。

まあ、どうでもいいことのような気もする…。



| | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |