考えたこと2

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男女平等
森喜朗の発言で、にわかに女性蔑視のことが盛り上がった。

今日Facebookのニュースフィードを見ていたら、フィフィという女性タレント?がこんな発言をしていた。
彼女はエジプト出身の女性タレントで、44歳。
中学、高校、大学は日本で過ごしていて、フォロアーが23万にもいるらしい。
インフルエンサーというやつだ。

載っていた発言がこれ。

“私の意見は女性に厳しいね、なんて言われるけどそれは違う。日本は女性が蔑ろにされる社会とは思わないし、能力を発揮できる機会も与えられてる。性差で配慮もしてもらってるし、それなのにいつまでも女性は特別に扱わないと文句言うから〜みたいな方向に行ってるのが今の日本。それって結局、逆効果”

たしかにイスラム教圏から見ると、日本の女性は平等に扱われていると見えるだろう。
男女雇用機会均等法が1986年に成立し、30年経った。
今の大学生と話をしていると、男女の差などなんとも思っていないように見える。
ゼミ長の女性が、メンバーが頼りないというが、彼女以外はほとんど男性だったりする。
言っている本人は、別に男女の違いを意識していない。
男性学生も、女性がリーダーでも、別になんとも思っていない。
なにか思うこと自体を感じていないのだから、本当に平等なのだと思う。
ぼくらは森喜朗に近い男女意識を持っているが、今の30代くらいからは、意識が違っていると思う。

亡くなった渡部昇一が書いていた、女性論を若い頃に読んだ。
その本がぼくの男女の考えの基礎になった。
今調べたら、もう絶版らしく、出てこなかったが…。

要は、男女は平等だが性差はあるし、それは認めないといけない、ということだ。
性差を認めることは、差別ではないという考え方。
おそらく、今の通説よりも保守的だったと思う。
フェミニストとは意見が合わない。

ぼくはこのフィフィの考えに近い。
フィフィは一部のフェミニストからは敵視されると思う。

それでも、こういうことを言えるのは女性だけだろう。
男性が言ったら、もっと炎上するのがオチだ。

したがって、ぼくのような男性は何も言わない。
無用な争いは避けないといけない。

この問題は時代が解決すると思う。


| | 考えたこと | 19:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャリア形成のジレンマ
キャリア形成関連の授業はいろんな大学でなされている。
ぶっちゃけて言えば、自分がやりたいことやなりたい姿、やっている学びやスキルと仕事を結びつけよう、という試みだ。
こういうことをやると、どうしても理想論になる。

明治大学ではこんな授業もあるらしい。
iU情報経営イノベーション専門職大学の講師が書いていた。

「明治大学の私の授業では、「死ぬまでに実現したい夢、十年後にしたい仕事、その仕事に就くため勉強すべきこと」を1分間で発表する。夢を実現するためには、いつでもどこでも誰でも安価に一生涯にわたって体系的なオーダーメード教育を受けられることが理想だ。スマートフォンに夢、就きたい職業などを入力すると、最適化されたオーダーメードの学びのロードマップが図解で表示される。そこには学年別、レベル別に身につけるべき学びの体系と細目が盛り込まれている。」

この人は、コロナでオンラインが進み、こういうことがスマホでできるようになる、ということを書いているのだが、何となく違和感がある。
キャリアの難しいところは、まだやっていない、ということだ。
将来など、わからないのだ。

ぼくが大事だと思うのは、目の前の仕事を一生懸命にやること。
それをできれば3年から5年続けてみること。
節目で自分のやってきたことを振り返ること。

結局、大事なのは現在だけなのだと思う。

たしかに、夢やなりたい姿を考えることは必要だ。
でも、考えるだけでは前に進まない。
やってみて、初めて分かることのほうが多いからだ。

人生は「こんなはずではなかった」という出来事の集積だと言ってもいい。
そういうことをわかった上で、なりたい姿や夢を考えるのは難しい。

ぼくの若い頃は「就職して、企業に入って働く」というのは「負け」みたいな風潮があった。
中村雅俊のドラマなど、そういう感じだったなあ。
自由に生きることがかっこいい、という時代。
それをユーミンは「あの頃のまま」で歌にして、ブレバタが歌った。

本当に小さい頃の夢にたどり着けるのはほんの一握り。
才能や運も左右する。
夢のリストに書いてあるものは、消していかないと行けない人がほとんどなのだ。

それをスマホに入れて、いつでも見られる、というのはどこか間違っているように思う。
そんなものはメモでいいのだ。
そして、いつかは捨ててしまう。

そういうものだと思う。



| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |