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2005.11.05 Saturday
ラジオ
中学の頃から、ラジオをよく聞いていた。
朝日放送のヤングリクエスト、毎日放送のヤングタウン・・など。 夜の10時頃から聞き始めて、場合によっては深夜3時頃まで聞いていた。 ヤングリクエストは、朝日放送のアナウンサーがマジメにやっていた。音楽をかけるのが中心。洋楽と邦楽が半々くらいだった。 番組中に、売れはじめの笑福亭仁鶴が、「仁鶴頭のマッサージ」というコーナーをやっていて、一度だけハガキに書いたギャグが読まれたことがある。中学2年の時か・・残念ながら聞き逃して、友達から教えてもらった。 ラジオ大阪で、亡くなった桂春蝶がやっていた番組にも、ギャグを書いて送って、読まれたことがあった。こちらの方は、何かプレゼントをもらえるコーナーだったが、次点だった。 ヤングタウンはよく聞いた。始まってすぐに、「ハッピー・トゥデー」というコーナーがあって、電話でその日にあった面白いことをリスナーが話す、という企画だった。今でもやっているのだろうか。 1時過ぎから、ヤマハのポプコンがらみの番組があって、これもよく聞いていた。NSPの「夕暮れ時は寂しそう」なんかは、これで聞いたと思う。 夜中になると、オールナイトニッポンを聞いたり、KBS京都を聞いたり・・試験勉強などでもっと遅くなると、トラック運転手さん向けの番組を聞いたりしていた。これは演歌がメインだったが、妙に色気のある女性のアナウンサーが、静かに話す番組だった。 オールナイトニッポンでは、桑田佳祐がDJをやっていて、山下達郎が当時人気があったホンダのプレリュードで、夜の首都高速を走りながら、竹内まりやを口説いた・・という話を聞いて、なぜかそれが妙に印象に残っている。 朝の5時になると、おはよう浪曲や宗教関係の番組がある。 11月くらいから、12月の討ち入りの日にかけて、忠臣蔵の浪曲特集があったりして、なかなか面白かった。下宿時代にはよく聞いた。 宗教の番組は、「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」というナレーションで始まり、毎日一つ、「イイ話」を聞かせてくれた。 1970年代はFM放送が始まったばかりで、FMはNHKとFM大阪の2局しかなかった時代だ。 NHKのFMではクラシックが多くて、ほとんど聞かなかった。 FM大阪では、土曜日の昼に歌謡ベストテンとポップスベストテンをやっていて、この番組はよく聞いたおぼえがある。 70年代はFMファンなどという雑誌があって、番組表を見て、カセットで録音(この行為を、エアチェックという)していた。 LPレコードの全盛期で、レンタルもなかったし、エアチェックは大事な情報源だった。 こないだ書いたが、日曜日の朝は、「愛の街から」というラジオドラマを聞いていた。 こう書いてくると、けっこうラジオというメディアになじみがあったんだと思う。 今みたいに、一家に数台テレビがある家などなかったし、テレビは茶の間にデンと座っているものだったから、自分の好きな番組を見る、ということができなかったし、ちょうど、家族から離れて一人でいたい時期だったというのもあったのかもしれない。 その点、ラジオは机の上に置いてあって、スイッチを入れると一人で聴けるという手軽さがあった。 ラジオか・・。 今の中学生や高校生はあまり聴かなくなったのか。 懐かしい。 ラジオには、ラジオの良さがあった。 ハガキを通じて、同世代の話を聞けたりして・・、今のインターネットの掲示板やメーリングリストのようなものだったのかもしれない。 でも、今のテレビの深夜番組よりは、数倍マジメにやっていたと思う。 昔は聴きましたよね? |
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