考えたこと2

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気の緩み
父がなくなった時、葬式でお経を読んでもらった寺に四十九日の読経を頼んだ。
住職はもう80近かっただろう。
それでも、バイクで通っていた。
民生委員の元締めみたいな事もやっていると言っていた。

四十九日の日はわりと長いお経だった。

浄土真宗の西本願寺派という宗派。
この宗派は読経のあと、説教をすることになっているらしい。

その日は何の話をしたのか、忘れた。
しかし、説教が終わって、お茶を飲みながら世間話になった時に「うちも娘二人に婿を取って、寺を継がせるつもりなんやが、どうも頼りなくて、わしが死んだらどうなるのか、心配になる」と言った。

坊主が「自分の死後が心配だ」というようなことを言われると、俗世間の我々は困る。

「はあ…」とは言ったものの、その場にいた親族一同が困ったような反応だったので、住職はそそくさと帰っていった。

帰ったあと、親族一同「あれはないで」という話になった。
いくらなんでも、坊主が言っていいことと悪いことがある。

当時会社に、お寺の次男坊がいたので、その人をつかまえて、こんなことがあった、と話をすると、「それは言うたらあかんなあ」とのこと。

「よっぽど気が緩んだんやろなあ」

なるほど、そうかもしれない。

しかし、仮にも死後の浄土に導く導師という職業の人が、「自分の死後が心配だ」はないだろう。
気が緩むどころの話ではない。
職業意識の問題だ。

もちろん、その時以来そのお寺とは関係がない。

あの住職、まだ存命だろうか…。


| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
2年で引退
今日は次男のスゥイングの定期演奏会に行ってきた。
ジャズのビッグバンドはいい。
若い人たちが頑張っているのを見るのは楽しい。
本当にやりたいことを楽しんでやっている。
そういう姿が見られるのは、大学のクラブ活動だ。

しかし、今の大学生は4年間クラブ活動をやることができない
たいがいのクラブは2年で引退する。
次男のところも同じだ。今日が2年目の演奏会。早い引退になる。

ぼくは落語をやっていた。
昭和50年4月から54年3月の4年間。
ぼくらの頃は引退は4年の秋だった。
年に2回の寄席があり、1回生の春の寄席に出て、4回生の秋まで8回の寄席に出た。
もしも2回生で引退していたら、落語はあまりうまくならなかっただろう。
別にプロになるわけでもないし、うまくならないといけないわけではないのだが、しかし、やるからにはうまくなりたい。
なんでも、一人前になるためには最低3年はかかる。
もちろん、たった3年ではダメなのもわかっているが、アマチュアでやりました、と言えるだけの技能をつけようと思うと、やっぱり3年だ。

だから、2年で引退は気の毒だ。
せっかくやったのなら、続けたらいいのに…、と思う。

しかし、3回生になったら就活があるから、2年で引退するのだろう。

就活のために2年で引退というのは本当にもったいない。
みんな楽しそうにやっていた。
大学から始めたという学生もいた。
トロンボーンやベースを始めて、たった2年で引退しなければならない。

その意味では来年の3回生から、就活開始は春休みになるというのはいいことだ。
せめて3年はやらせてあげたい。

2年で引退は気の毒だ。

これも就活の弊害。

| | 考えたこと | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |