考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< December 2013 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
就職フェア
仕事の関係でインテックス大阪の就職フェアに行ってきた。
仕事の関係とはいえ、初めての大阪のフェア。
話には聞いていたが、すごい学生の数。
バスを立ててくる学校もあるらしい。

かわいそうなのは女子のトイレ。
会場内のトイレには女子の列ができていて、数十分待ちという状況。
機転を利かせて、会場の外の別の場所に行くとかすればいいのに、そういう機転はフェアの熱気で舞い上がっていて思いつかないらしい。

メガバンクが巨大なブースというか、10メートルくらいある天井に着こうかというきれいな建造物をつくって、学生を呼び込んでいる。
何人採用するつもりなんだろうか。

12月の2週目の土曜日なので、まだまだ一部上場企業ばかり。
製造業では、旭化成、京セラ、パナソニックなど、ぼくらの世代ならたいがい知っている会社。
三菱UFJや三井住友などの金融、伊藤忠、丸紅、三井物産などの商社、関西電力、大阪ガスなどのインフラ、ニトリなどの流通サービス、大阪府警、京都府警、兵庫県などの官公庁、電通、関テレなどのマスコミ、NTTなどのIT、キリンなどの食品、中国四国などのUターン就職コーナーなど、いろいろある。

インターネットができて、オープン募集になって、学校の壁が崩れた。
ソニーが学歴不問ということで、学校名を聞かないというような採用をし始めたのが何年だったか。
それまでは日本の新卒市場は学校や学部で決まっていたと思う。
90年代にリクルートが筆頭となってその体制を崩した。
インターネットがそれに拍車をかけ、完全にオープンエントリーの時代になった。

その当時は崩れることのメリットのほうが大きかったんだろう。
会社側にとっては、多様な人材が採れることで、より活躍する人の行動特性(コンピテンシー)を調べ、それに合った人材を採用できる(リクルートの言葉だと思う)というメリットがあった。
TOEICなどのオープンな検定も出てきた。
英文科を出ているというよりも、TOEIC700点の方が確かだ。

学生の側も、オープンな採用という事になり、自分たちの可能性が広がったという部分が大きかった。

しかし、今の状況を見ると、必ずしもそうでもないと思う。

考えてみてほしい。
進路指導の先生に相談し、決められたルートにしたがってレールの上を歩いてきた学生が、大学を出る時になっていきなりオープンな、逆に言うと弱肉強食で競争原理に則った、戦いの中に放り出されるのだ。
小中高で競争を経てきた人はまだいい。
みんなのタイムを測ってから、差がつかないように競争をするような学校、学校間の競争が厳しくなるから学力テストの公開はダメだというような学校、そんな学校に通ってきた生徒はどうしたらいいのか。
実際に、競争らしい競争を経てきた人がどんどん減っている。

AOや推薦で大学に入る人が今や半分以上いるのだ。
小中高大の入るところまでの行き方と、大学を出るところの行き方が逆になっている。

小さい頃から競争原理を知らず、「世界に一つだけの花」的な考えで育てられた学生が、いきなり「個性というのは一人前の仕事ができるようになってから」というような世界に入らないといけない。
そんな体制だから、大学を出て、3年以内に35%の人が離職する。

大卒はまだマシで、中卒で7割、高卒で5割ということだから、大学はまだ成熟しているだけ対応する力がついているのだろう。
小中高での教育を見直すか、それともオープンな採用を見直すか、そのどちらかだと思う。

小中高と言っているのは、大学には小中高のように教育する体制がないからだ。
大学で教えられるのは、どうやって学ぶか、自分をどう教育してくかというようなところだと思う。
ただ、そうも言っていられないのが現実だが…。

オープンな採用というのは、お金がかかる。
仲介している会社がいくつかあって、そこに払うお金がバカにならない。
何とかナビというサイトがあって、そこに登録するのにお金がかかる。
もちろん、松竹梅というランクがあって、いろんなオプションがある。
オプションをつけると情報量が増え、学生はよりよく企業の事を知ることができる、という仕組み。

それなら、昔に戻って○○大学と☓☓大学と…大学に求人票を出して、人を送ってもらおうという方が安くつくかもしれない。

問題は、これだけ少子高齢化と言っているのに、まだ大学は増え続けていることだ。
そんなふうに大学が増えているから、企業側もどこに求人していいのかわからなくなったのだろう。
企業側では、学部名を見てもなにをやっているのかわからないところも増えたし、そもそも大学で身につけるものなど期待していないから、どこの大学でもいいという気持ちもあるだろう。
人文社会系についてはそれでいいのかもしれない。
法学部を出たから法律のことがわかるとか、経済学部を出たから経済の知識があるとか、そんなことはぼくの頃からなかったと思う。
だいいち、そんな専門家がたくさんいるなら、こんなにコンプライアンスなどと言わなくてもいいはずだ。
それを考えると、どちらがいいのかわからない。

学生の立場にたっても、どこに行ったらいいかわからない、という状況になる。
特に昔の学生と違って、決められたレールの上を歩いてきた、競争を知らない学生だからなおのこと困る。

そんなこんなで、就職フェアがある。



| | 考えたこと | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄
沖縄弁は今まであまり聞いたことがない。

しかし、沖縄でやっている上方漫才を聞いていると、「北」のことを「にし」というのをギャグにしていた。
これは本当なのか調べてみると、確かに「にし」というらしい。

「東西南北」のことを「あがり、いり、ふぇー、にし」という。
「東」は日が昇るから「あがり」、「西」は「イリオモテヤマネコ」の「いり」、「南」は「ふぇー」、「北」は「にし」という。

「いらっしゃい」は「めんそーれ」で、「こんにちは」は「はいさい」、「がんばれ」は「ちばりょー」。
そういえば、そういう歌もあったり、具志堅が言っていたりする。

「美しい」を「ちゅら」というのはNHKのドラマでやっていた。

以前、宮崎に通っていたことがあったが、鹿児島に近いところで、結構特徴的な言葉を話していた。
スナックで土地の人同士で話していると、全くわからない。

そして、この沖縄弁。
北のことを「にし」というのは知らなかった。

日本の南端の沖縄は、やっぱり南方系の感じがする。
濃い表情、濃い顔。
ヒゲなども濃い。

ラジオやテレビのおかげで、標準語が広まった。
教科書にも標準語が使われる。
だから、話が通じるが、昔は苦労しただろう。
幕府の役人などが江戸から来ると、通訳がついたのではないか。

元は琉球王国。
それが日本に結果的になったのは江戸時代。
「琉球の風」という大河ドラマがあった。

大河ドラマは「太閤記」と「赤穂浪士」を昔見たが、その後はほとんど見ていない。
でも、なぜか「琉球の風」は見た覚えがある。
琉球の政府は、インドのガンジーのように、抵抗せずに薩摩に首里城を明け渡したと記憶している。

沖縄は、地理的に重要な意味があるのだろう。

東西の緊張がなければ、普通の平和な島だったと思う。

| | 考えたこと | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |