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2010.09.17 Friday
小学校の教員
小学校の教員を増やすという話がある。
発達障害や学級崩壊、親の問題など、ご苦労はわかる。 しかし、どうも納得できないところがある。 日本は少子化の時代を迎えている。 少子化というのは、子どもが少ないということだ。 実際ぼくらの小学校の頃は、1クラス45人くらいだった。 もう少し上の世代は、団塊の世代で、1クラス50人はいただろう。 その頃、先生はえらかったし、生徒はマジメだったかもしれない。 先生の言うことはきかないといけない、という暗黙の了解もあったと思う。 社会が今とは違う、という事も理解する。 それでも、今よりもクラスはまとまっていたのではないか。 ニュースを見るたびに、それにしても…、と思う。 45人から35人になったら、だいぶ違う。 昔はなかった、ボランティアやクラスの支援をやる学生もいる。 それで、どうしてまだ教員を増やさなくてはならないのか。 副担任という制度まで検討されているらしい。 まあ、今それが必要だというなら、それは仕方ない。 しかし、なぜそうなったのか。 それには理由があるだろう。 社会が変わった。 義理人情とか、共通の価値観がなくなった。先生はエライとか、大臣はえらいとか…。 家庭も変わった。 核家族化が進み、子育てが孤独な作業になり、不安になった。 親が完全に戦後化した。戦後の教育を受けた先生に習ってきた。 そして、先生が変わった。 戦後の教育大を出て、戦後の教育課程で育った先生だ。 子どもの小学校の時の先生をみても、頼りないというか、官僚的な人もいた。 若いのに、官僚的なのだ。 小学校4年で学級崩壊状態だった。 もちろん、いい先生もいた。 でも、こんな先生に習っていいのか、という先生もいた。 学校の体制もおかしな事が多かった。 前に書いたが、運動会はヘンだった。 先生同士で敬語を使わないのもヘンだと思う。 生徒と友だちのような会話をしているのもヘンだと思う。 教壇がなくなったのもヘンだと思う。 昼休みに掃除をするのもヘンだと思う。 掃除当番がなく、全員で掃除をするのもヘンだと思う。 親に問題はあると思う。 でも、親が問題あるということは、先生も同年代で、問題あるということだ。 ぼくは今の学校はオカシイと思う。 そして、それを変えるには、先生を変えないといけないと思う。 学校を変えるには、先生を変えないといけない。 これは、中学も高校も大学も同じことだ。 当たり前ではないか。 そのためには、先生の養成の仕組みを変えないといけない。 採用の仕組みを変えないといけない。 学校のシステムを変えないといけない。 その待遇も変えないといけない。 そのためには、人を増やすのではなく、待遇改善にお金を回すべきだ。 今の先生の問題は、その個人の責任ではない。 そういう人が選ばれる仕組みが間違っているのだ。 そんな当たり前のことを、やっていくしかないと思う。 早くやらないと、えらいことになる。 雇用、雇用、雇用ではない。 教育、教育、教育だろう。 |
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