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2010.09.19 Sunday
人生は屁のようなもの
朝のドラマで水木しげるの父親が、死の数ヶ月前、屁をしたあとで言ったという言葉。
人生は屁のようなものだ。 大きな音をたてて飛び出すが、あっという間にあとかたもなく消えてしまう。 笑われもするし、嫌がられもするけども、全てはつかの間だ。 とるに足らんつまらんもので、けど、やっぱり面白いものだ。 なかなか深い言葉だ。 これを祖父役の風間杜夫が、安来の言葉でいうと、何ともいえない味がある。 いろいろな人が人生は〜のようなものだ、と言っている。 〜の部分に入るものは、夢であったり、物語であったり、映画、川、小説、山登り、ジグソーパズル、花火など、いろいろある。 そして、〜に入るものより、その後の理由がその人の人生観を表す。 それが屁であった、ということ。 人生は短い。そして笑われたり、嫌われたりするものだが、結局つかの間だ。 どうでもいいものだが、やっぱり面白いもの。 人間はなんのために生きているのか、わからない。 そんなものが数十年のあいだ、世の中に存在する。 その世の中というものも、いつまで存在するかわからない。 そんな足もとがふらついたところで、生きている。 本当に「とるに足らんつまらんもの」だ。 それでも、面白いものなのだ。 日本人の諦観みたいなものが、表されている。 でも、最後のところで、ポジティブに生きていこう、ということになる。 全てはどうでもいいものなのだ。 その「どうでもいいもの」を相手に、笑われたり、嫌われたりしながら、あくせく意味をつけようとする。 それが人間の営みなのだろう。 そんな思いを表した言葉。 人生は屁のようなものだ。 本当にそうかもしれない。 |
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