![]() |
2010.09.23 Thursday
一個大隊
またまた、朝のドラマの話。
水木しげるがプロダクションを経営していることを、自分は一個大隊を率いている、という言葉で表現した。 彼は、1922年生まれで、実際に戦争に行き、南方で左腕をなくした。 現在、88歳になる。 そのせいか、朝のドラマを見ていると、軍隊の比喩が多い。 家庭を上手にやっていくことは、分隊で表していたと思う。 そういえばウチの親父も、テレビでコンバットという米軍のドラマを見ていて、伍長とか、軍曹とか言っていたなあ。 組織というものの基礎は軍隊だと思う。 いかに効率的に意思を伝え、有機的に動かせるか、ということが勝敗に関わる。 その上、極限状態を想定しないといけない。 e-mailで連絡するということはありえないのだ。 現場への権限委譲も当然あるし、それは事後承諾せざるを得ない。 そういう想定のもとで、組織のヒエラルキーができている。 通常の組織ともっとも異なるのは、負けるといなくなるということだ。 会社なら、売り上げが落ちるとか、つぶれるとかするが、人はなくならない。 どこかに動いていく。 その結果が失業保険であっても、とりあえず死ぬことはない。 ところが軍隊は違う。 判断ミスや作戦を間違ったりしたら、その軍が文字通り消滅する。 だから、必死にやらなければならない。 もちろん、平時と戦時は違うだろうが、ことが起これば、そういう機能を発揮すべく組織はできていなくてはならない。 そういう組織を体験した水木は、何かあると分隊や一個大隊という言葉を使い、軍隊ならどういう決断を下すか、という風に考える。 それがもっとも効率的で有効だと知っているのだろう。 実際には日本陸軍はろくなことをやっていない。 こないだも書いたが、ある時点以降はとにかく玉砕だ。 作戦もへったくれもあったものではない。 現場の意見よりも、遠く離れた参謀本部の建前が通る。 実際、物資もなく、何もできなかったのかもしれないが、兵を使い捨てにする、という思想はアメリカにはなかったと思う。 戦争映画を見ても、日本の映画は死の美学を追求する。最期はやっぱり死だ。捕虜になって生きるという映画は見たことがない。 戦勝国ということもあるが、アメリカの戦争映画はたとえ捕虜になっても誇りを捨てず、最後は脱走するというパターン。 だから、数少ない日本軍の捕虜は何でも話したらしい。 捕虜になる前に死ぬということになっているから、捕虜になったあとのことは記載がないからだろう。 別に戦争の話を書くつもりではなかったのだが…。 そういうワケで、今の80代の人の中には、分隊とか一個大隊というような言葉に実感がある人がいるということだ。 今のぼくらには、そういう感覚が全くない。 言い換えると、組織の基礎がないのだ。 それは平和で、いい国だということだ。 しかし、軍隊に代わる、組織の見本がない。 メーカーの現場はそれに近いところはあるが…。 何か、ないのだろうか。 そういうものが、必要とされていると思う。 |
![]() |