考えたこと2

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落語
落語研究会に入って、4年間落語をした。

中学から落語が好きで、仁鶴がきっかけだった。
ちょうどヤング・オー・オーという番組が毎日放送で始まり、上方落語がブームになった。

仁鶴の落語を聞きあさり、米朝や松鶴、春団治、小文枝という当時の四天王の落語も聞いた。
でも、ぼくはとにかく面白い落語が好きだった。
演出や細かいことより、とにかく笑えることが大事だった。

高校の頃にはいくらか録音した落語もあって、毎晩寝る前に聞いて寝るのが常だった。
それが、いまでも形を変えて続いているが…。

実際に演じたのは、18から22歳の4年だけ。
最初は仁鶴のネタばかりだった。
そのころのテープを聞くと、恥ずかしい限り。本当に下手だ。
仁鶴の出囃子を先輩からもらって、いつも派手な「 だんじり 」 というのを使っていた。
出囃子というのは、落語家のテーマソングみたいなもので、口座に上がるときにかかるお囃子のこと。
自己満足の世界だった。

3年目くらいからは、当時襲名した枝雀のファンになった。
優れたエンターティナーの定めか、自殺してしまったが、笑いの構造や哲学的なことにも造詣が深かった。
彼の最終目標は、口座に出て、何もせず、そこにいるだけで客が笑うという状態だと言っていた。
面白い芸人だった。

落語は4年やって、演じるのはやめた。
自分に才能がないのもわかったし、落語を研究するのも性に合わなかった。

ただ、笑いを取るのは難しい、ということだけは本当によくわかった。
それは、落研をやめても財産として残っている。
話の持っていきかた、声のトーン、目線の使い方、イメージトレーニングの仕方…、それらを落研で学んだ。

そういうことを自然と身に付けている人も多い。
羨ましいと思う。

でも、ぼくはそういうことが不得意だった。
今でも先輩の言葉が耳に残っている。
「おまえは落研に入ってなかったら、単なるしょうもない事言いで終わっとったやろな」

その通りだと思う。
今でも自分では不得意だと思う。

だからこそ、落研で学んだことは財産だと思っている。


| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の教育
いじめの問題も見ても、学力の問題を見ても、今の学校の状況は諸手を挙げてヨロシイ、という状況ではないのは事実だろう。

何に問題があるのか。
社会が個に分解され、地域のコミュニティの教育力がなくなったとか、少子化であらゆる学校が過当競争になり、経営重視になったとか、そもそも子供が減っているので、彼らは競争をしなくても良くなったとか、いろんなことが言われている。
どれも、それなりに正しいのだと思う。

では、一番手っ取り早い処方箋は何なのか、ということになる。

これはやはり教育を専らやっている部門の体制を変えることになるだろう。
それが仕事なのだ。
社会はそう簡単に変えられないが、教育の仕組みは比較的簡単に変えられる。

たとえば、教員の養成方法を変えてみるとか、学校の仕組みを変えてみるとか…。

その一環が教育委員会の改革というものだろう。
先生しかしたことがない人が、教育界には多すぎる。
生徒たちは学校を出て、社会に出る。
社会で評価されるのだ。
それなら、社会人経験を持っている人がもっと関わるべきだろう。

今の教育委員会を見ていると、自分たちの仲間を守ろうとしすぎる。
大津のいじめの問題をみても、それはあきらかだ。
なぜか。
みんな学校の先生だからだろう。

ぼくは、もっと教育に、実社会に出た人が関わらないとイケナイと思う。
先生が社会に出ていないとは言わないが、学校という閉鎖的なところで、生きている。
おまけに、自分の子供たちが小学校でやってきたことを見ていると、どうもオカシイと思わざるを得ない。

橋下市長が、教育長の選出方法について、「人が死ぬわけでもないし、一度変えてみたらどうか」というようなことを言っていた。
全くそう思う。
今の状態がよくないのは明らかだし、それなら変えてみたらいいのだ。
今のままを継続するのはヨクナイ。
どうして、そういうことを考えられないのだろう。

普通なら、一刻も早く何かを変えないといけないと思う、と思うのだが…。

何が恐くて変えられないのだろうか。
不思議で仕方がない。
こんな大変な状態なのに、ほとんど放置して、誰も何も思わないのだろうか。

事は急を要するのだ。
すぐに手をつけても、その効果が現れるのに、何十年もかかるのに。



| | 考えたこと | 01:27 | comments(0) | trackbacks(0) |