考えたこと2

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スラバヤ
こないだ話をした学生は、インドネシアのスラバヤから来ていた。

ユーミンの曲で「スラバヤ通りの妹へ」というのがある。
水の中のアジアへという4曲だけのアルバム。
1981年にユーミンがアジアを旅した時の作品で、この「スラバヤ通りの妹へ」という曲は当時のアジアの国々が今よりもっと貧しかった頃の曲。

ユーミンは妹みたいな女の子、を歌にした。
当時のスケッチみたいなものだ。
80年代初頭の日本は、高度成長でイケイケドンドンの手前くらいだったか。

自分たちに比べて、過酷な人生を送ることがわかっている「妹」の歌。

明るい歌だが、切ない歌。
戦争の贖罪意識もあったのだろう。

今日面接した学生に、歌を知っているか?と聞いたが、何のことか分からなかった。
いい加減にうなずいたのだろう。
今の20代の留学生が、四十数年前の日本の歌を知っているわけがない。

でも、カタコトの日本語で話す彼女に、あの歌が重なった。
ぼくがインドネシアに行ったのはたしか1999年だったと思う。
ユーミンが歌を作ってから、18年後。
それでも、まだまだ貧しかった。

あれから、26年経っている。
今はもうだいぶ発展したのだろうか。
もしもユーミンがもう一度アジアを旅して、スラバヤに行って歌を作ったら、どんな歌ができるのだろう。
そんなことを考えた。

カタコトの彼女に、なんとか日本で仕事が見つかれば⋯と思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |