![]() |
2025.07.04 Friday
スラバヤ
こないだ話をした学生は、インドネシアのスラバヤから来ていた。
ユーミンの曲で「スラバヤ通りの妹へ」というのがある。 水の中のアジアへという4曲だけのアルバム。 1981年にユーミンがアジアを旅した時の作品で、この「スラバヤ通りの妹へ」という曲は当時のアジアの国々が今よりもっと貧しかった頃の曲。 ユーミンは妹みたいな女の子、を歌にした。 当時のスケッチみたいなものだ。 80年代初頭の日本は、高度成長でイケイケドンドンの手前くらいだったか。 自分たちに比べて、過酷な人生を送ることがわかっている「妹」の歌。 明るい歌だが、切ない歌。 戦争の贖罪意識もあったのだろう。 今日面接した学生に、歌を知っているか?と聞いたが、何のことか分からなかった。 いい加減にうなずいたのだろう。 今の20代の留学生が、四十数年前の日本の歌を知っているわけがない。 でも、カタコトの日本語で話す彼女に、あの歌が重なった。 ぼくがインドネシアに行ったのはたしか1999年だったと思う。 ユーミンが歌を作ってから、18年後。 それでも、まだまだ貧しかった。 あれから、26年経っている。 今はもうだいぶ発展したのだろうか。 もしもユーミンがもう一度アジアを旅して、スラバヤに行って歌を作ったら、どんな歌ができるのだろう。 そんなことを考えた。 カタコトの彼女に、なんとか日本で仕事が見つかれば⋯と思う。 |
![]() |