考えたこと2

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ら抜き言葉
ら抜き言葉を使う人が増えているらしい。
文化庁の「国語に関する世論調査」で「見(ら)れる」「出(ら)れる」は「ら抜き」を使う人が多かったとのこと。
「ら」を抜くのは、「見られる」というと「見ることができる」という可能の意味と、「誰かに見られる」という受動の両方の意味があるから、より意味をはっきりさせるために「ら抜き」になるという分析結果。

なるほど、そういう気もする。
ぼくは、可能の意味の時に「ら抜き」をやっているように思う。
「見れる」というと、「見ることができる」という可能の意味になるから、限定できる。
それが「ら抜き言葉」のメリットだろう。
つまり、見ることができる、という時には「見れる」、人から見られるという時には「見られる」を使うことが多いということだ。

ちなみに、ブログを「見れる」で検索したら、1件だけ出てきた。
話し言葉なら使うが、書き言葉だとまだ使わないという感じだ。

ややこしいのは、そこに敬語が絡む場合。
「見られる」という言葉は、「見る」の尊敬語にもなるのでそこに敬語の意味もあり、この時は「見れる」ではダメだ。
「見られますよね?」などという言い方は可能の意味なのか、尊敬の意味なのかわかりにくい。
「ご覧になりますよね?」と言えば尊敬に限定されるが、でも「見られますよね?」も使うような気がする。
でも、普通は敬語を使う時に「ら抜き」はしないと思う。

調べると、「ら抜き」の対象になるのは可能動詞だそうだ。
Wikipediaによると、「可能動詞は「〜できる」(可能)という意味を含む動詞である。可能動詞は五段活用の動詞だけから作られるが、それを五段活用以外の活用をする動詞についてまねたのが、いわゆる「ら抜きことば」である。」ということらしい。
五段活用以外というと、下一段活用とか、上一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用などがある。
もうここまで来るとチンプンカンプンになってしまう。

中学の国語の時間に、日本語の文法は習ったような気がするが、ほとんど覚えていない。
覚えても役に立たないからだと思う。
ぼくの印象では、根本的なルールみたいなのがなくて、取ってつけたような分類をして、それが場合の数だけあるぞ、という感じ。
でも、エライ人達が考えてそうなっているんだから、仕方がない。
まあ、とりあえず話せるし書けるから、必要ないと思うのだ。

でも、外国人にとって、日本語は習いにくいだろうなあ。
英語に比べて、文法がよくわからないからだ。
おまけに覚えないといけない文字数が多い。
平仮名とカタカナ、その上漢字がある。
日本にいる外国人で、話せて書ける人を見ると、ホントにエライなあと思う。
こんなの、生まれた時から話しているからわかるので、後から覚えるのは至難の業だろう。

でも言葉はどんどん変わっていく。
そのうち、「ら抜き言葉」は正しい表現になるんだろう。
違和感がある人がいなくなれば、それらは古語になってしまうからなあ。



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