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2016.09.20 Tuesday
GPの意味
民間企業から大学に転職して、最初は大学業界というのは開かれているなあというのが印象だった。
どの大学でも、何かを聞きに行ったら教えてくれるし、それをホームページや文科省のサイトで公表していていたりする。 民間企業では考えられない。 特に私立大学はお互いに受験生を奪い合っており、エリア内ではもろに競争相手だ。 民間なら同業他社に「どうやって売っているんですか?」「次の新製品はなんでしょうか?」などという質問をすることは考えられない。 聞きに行くこともあり得ない。 それは営業上、技術上の秘密だからだ。 当たり前すぎることだが、大学業界はそれがないということに驚いたものだ。 実際幾つかの大学に見学に行き、ヒアリングしたこともある。 まあ、教育業界だから、お互いに教育をよくするのは当然、という了解があるのだろうと思っていた。 GPという文科省の特別補助の枠組みがある。 これは国際基督教大学の絹川先生の発案によるものらしい。 当初は「特色ある大学教育支援プログラム」という名前で始まり、2年目から特色GPという名称に変わった。 その初代実施委員会の委員長をやったのが絹川先生。 GPの定義は「教育改革の参考となる「優れた取組」を見つけ出すうえで、国立・公立・私立といった枠にとらわれることなく広く公募し、申請のあった取組の中から特に優れた取組を選ぶこととしています。これは各大学等が積極的に教育改革に取り組むことのできる環境、つまり「競争的環境」を整えることで教育改革への動機づけ、インセンティブを与え、互いに切磋琢磨することを目的としています。」と書いてある。 始まって数年、絹川先生の講演を聞きに行って、先生がぼやくのを聞いた覚えがある。 GPは”Good Practice”の略で、各大学がやっている「良い取り組み」を紹介するというもの。 絹川先生は、こういう良い取り組みをやっているので、お金を出してよその大学に紹介してどんどんやればいい、という意図で提案したという。 必然的に、良い取り組みがいくつか出たら、あとはまねするだけなのでやめてもいいというのが意図だったという。 それがいつまでも終わらない。 役人に予算をつけたら、ずっとやる、ということの典型だ。 今やGPの発表会に呼ばれていくことがあるが、小学校の総合学習の発表みたいなものだ、という発言もあった。 今回そういう発言をネット上で探したが、公式には見つからなかったが…。 実際、GPを獲得して、各大学で発表会をやっていたりするが、まあやらないよりはマシという程度のものが多いと思う。 なかには義務だから仕方なくやるという学校もあるだろう。 また、毎年年度末に他大学のGPの報告書が送られてきたりするが、不要に立派なものが多い。 ぼくが見てびっくりしたのは、ケース付きの厚み3センチはあろうかという立派な想定の報告書。 これはもらった予算を使い切るために作ったんだろうなあ、と同情するのだが、一方でムダな補助だと思う。 こんなので大学の図書館は蔵書がいっぱいになって困っている。 それなら、電子書籍で出したらいいのだが、それでは値段が安くなるから予算がはけないのだろう。 そこでぼくは気づいた。 大学が教育について開かれているのは、教えても真似できないことがわかっているからだ。 金沢工業大学という教育熱心な大学がある。 北陸に骨を埋めるつもりの教員だけを雇い、学長を筆頭に教育に熱心な大学だ。 そこを見学に行ってスゴイなあと思った。 設備や開室時間など、金があれば真似できるものもあれば、厳しい初年次演習プログラムなど、やる気になったらお金がなくてもカリキュラムを変えて真似できるものもある。 でも、未だにそれらをやっているのは金沢工業大学だけだろう。 行った時に聞いたら、いろんな大学から非常にたくさん見学に来るとのこと。 低い偏差値の理系大学としては、就職率が高く、実績も出ている。 見学を終えてレポートを書き、こういうことをやらないといけないと言っても、それだけだ。 学長に話しても「それはいい」というだけで、展開されない。 学内に回覧してもうんともすんとも反響がない。 結局何も変わらない。 ぼくは就職支援を始めて1年目だったが、不思議だった。 何で大学はよその大学の真似ができないのか。 結局は民間のように、共通の目標を持って組織で仕事をしていないからだ。 いざ何かを変えようとしても、そんな面倒くさいことはやりたくない、という教員が反対する。 もちろん、理由はいろんな名目を立てる。 曰く、学生がついていかないとか、ウチの大学では連携がうまくいかないとか…。 下位の学校では、教員は個人商店で、組織で働いているという気がない。 何かというと、それは教授会で決めようという。 それは文字通り、教授会で決めるということだ。 誰が決めたかという責任はうやむやになる。 そしてやらないことを決める。 上位の大学の事情はわからないが、偏差値50以下の学生を大量に受け入れている大学はもっと組織的に仕事をしないといけない。 何でも教授会の協議で決めず、もっと組織の原理で決めないといけないと思う。 特に人事は学長の専権事項にしないといけない。 それは大学になじまない、という人はいるだろうが、下位の大学はもはやその人達の考えている大学ではないのだから。 ウチは入試が成立していないのだから、入った学生をまじめに教育しないといけません、というようなことがミッションにならないといけない。 私学はみんな立派な「建学の精神」というのを持っているが、それに基づいてまじめに教育をしないと、出口(就職)で学生は困っているのだ。 どの学校にも教育熱心な先生は1割か2割はいるだろう。 でも、個人の努力ではどうにもならない。 組織的に教育することが、いい大学の真似をするためには必要なのだ。 それでこそGPの意味がある。 残念ながら、GPはまだ続いているが…。 |
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