考えたこと2

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ジルベール・ベコー
好きな歌手だった。
フランス語はわからないが、シャンソンを聴くようになったのはベコーを知ったからだ。

30代のころ、夜テレビをつけたら、偶然コンサートをやっていた。
どこかの女子大のステージで歌っていた。

水玉模様のネクタイしかしないので有名な人だ。

「そして今は」とか「詩人が死んだ時」とかいう曲。
ライブのLPレコードとCDを2枚持っている。

渋い声で、ステージを動き回りながら、話すように歌う…いや、歌うように話すというべきか。
フランス語はわからないが、とにかくすごいパワーだった。
大きな声をはりあげて歌うわけではない。
派手なパフォーマンスをするわけでもない。
水玉のネクタイをして、ステージの上で歌っている、その姿に魅了される。
5人ほどのバンドをバックに歌っているだけだが、彼の歌には力がある。

一番好きな曲は、「バラは憧れ」。
日本では、上条恒彦が歌っていた。

 永遠の誓いに 背いたこころが
 君を捨ててゆく時も
 隠しきれない悩みを誰にも
 打ち明けられない時も
 バラはあこがれ  バラはあこがれ
 バラは僕たちの夢

ベコーが作った歌だ。
原題は、"L'IMPORTANT C'EST LA ROSE"、「大事なものは、バラなんだ」という意味だと思う。
訳した時に、バラは「あこがれ」にしてしまったのだろうが、少しニュアンスが違うような気がする。

ベコーのこの唄を聞くと、サビの部分の「大事なのは、バラなんだ」というところで泣けてしまう。

18年前、大阪の小さなホールに来た時に見に行ったが、ラストでマイクを客席に向けて、この歌のリフレインの部分をみんなで唄う。
いまだに歌詞の意味は、よくわからないが、「大事なのは、バラなんだ」という気持ちが伝わってくるのだ。

2001年に亡くなってしまったが、ベコーの水玉模様のネクタイと、この歌は忘れられない。



| | 音楽 | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
バカ受け
4年間落語をやったが、一度だけ、バカ受けしたことがある。
後にも先にも、その一度だけは、自惚れではなくバカ受けした。

落研では、練習と慈善を兼ねて、春休みと夏休みに各地の老人ホームを慰問していた。
「今回は、山陽方面」ということになると、神戸、岡山、倉敷、広島あたりの老人ホームにハガキを出して、慰問の依頼をし、OKの返事が来たところを3〜4人のメンバーで訪問する。
参加する部員は10名ちょっとだから、3つのチームに分かれ、一日に1〜2カ所を回るのだ。
3泊4日で行くので、十数件の老人ホームを回ることになる。

あれは、天理の老人ホームだった。
4回生の夏、最後の旅だ。

ネタは「親子酒」という酔っぱらいの親子のネタで、老人ホームでは定番のネタ。
飲み食いをしたり、酔っぱらいが出てくるネタは受けやすいので、よくやったネタだった。

場所は十二畳もあったろうか。普通の和室に座布団を敷いてもらって、そこで演じた。
噺を始めてしばらくして、酔っぱらいが出てくるところあたりで、急に受けだした。
お客さんは20名くらい。ホームの老人と職員の人たちだ。

今日はどうしてこんなに受けるのかな…と思いながらやった。
涙を流して笑っている人もいた。
途中で、一人のおじいさんが、畳の上でころげまわりながら笑いはじめ、やっている本人もビックリした。

もちろん、一緒に行ったメンバーも驚いたようで、弟子(いつもは、弟子の方が受けるのだが…)に「すごいですね」と言われた。

自分もまんざら捨てたものではない…と思っていたが、ものには理由がある。

聞いてみたら、酔っぱらいの話し方が、つい先日ホームで亡くなった酒飲みのおじいさんにそっくりだったから…とのことだった。

「そらそやなあ」と納得し、それでもこれだけ喜んでもらえのだから、やっててよかった、と納得した。

その時以外、バカ受けというのはない。(外したことは数限りなくあるが…)

あの時ころげまわって笑ってくれたおじいさんの姿は目に焼きついている。
ぼくは、亡くなったおじいさんは知らないが、きっといい人だったんだろう…と思う。
そうでなければ、あんなにバカ受けするはずがない。

その時だけのお客さんだが、あんな経験は二度とできないし、あの15分ほどの時間は、忘れられない時になった。

今でも、亡くなったおじいさんには感謝している。
いい人たちに囲まれて、幸せな最期の時を送ったにちがいない。


| | 考えたこと | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) |