![]() |
2011.04.14 Thursday
小林秀雄
小林秀雄というと、昭和40年代後半から50年代にかけての受験生なら、覚えている名前。
評論家だ。 とにかく難解な文章を書く。 当時、何を言っているのか、さっぱりわからなかった。 小林秀雄のことを少しわかったのは、「小林秀雄の流儀」という山本七平が書いた本を読んでからだ。 なるほど、と思うところがあった。 そこで、「考えるヒント」という、小林秀雄の著作を初めて読んだ。 高校生の時よりも、ちょっとわかった気がした。 調子に乗って、「本居宣長」という上下2冊の文庫を買って、一応読んだ。 しかし、これは内容を覚えていないくらいだから、ほとんどわからなかったのだろう。 その後、「新・考えるヒント」という池田晶子の本を買って読んだ。 池田晶子という人は、小林秀雄を尊敬しており、小林秀雄の文体をまねて書いている。 これは面白かった。 そこで、もう一度、こんどは講演のCDを買った。 「信じることと考えること」という講演の録音。 昭和50年の録音。 驚いたのは、彼の声だ。 写真ではハンサムな人なので、イメージでは何となくすっきりした声だと思っていた。 ところが、落語家のような喋りで、なかなか間もよい。 一気に小林秀雄が近い人になった。 また、この講演会では、最後に「起立」「礼」を司会の声に合わせてやっていた。 どこかの大学で話したのだろう。 質問も、何となく偉い先生だから、遠慮しているような状況だった。 講演は、昭和50年当時の知識人が、ちゃんと考えていない、ということを言っている。 考える、とは、向かい合うとか、交わるということであって、ちゃんと考えるためには、そのことと交わらなければならない、という。 科学的方法ではなく、自分が経験するというある種ベタな方法をとることが必要だ。 観察ではダメで、当事者になること。 そうでなければ、イデオロギーになってしまい、責任が取れない。 なぜ、文士がペンクラブを作るのか。 自分に自身がないからだ、と切って捨てる。 痛快な人だ。 池田晶子がファンなのもわかる。 小林秀雄も山本七平も池田晶子も、もうこの世の人ではない。 しかし、もう一度小林秀雄に挑戦してみようと思う。 |
![]() |