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2011.04.12 Tuesday
何が正解か
よく、学校の勉強は楽だという。
何故かというと、正解があるからだ。 実際、世の中に出てみると、正解がわからないという問題ばかり。 まだ、問題が問題として認識されているなら、マシだ。 何だか分からないが、何とかしないといけない、というような場合、問題もわからないし、したがって、正解などまったくわからない。 本当に正解があるのは、科学の世界だろうか。 1+1=2という数字の世界は、正解がある場合が多い。(これとて、なぜ1+1が2なのか、というのを考えこむと難しい) しかし、1と2の間にどれだけの数字があるか、ということには、答えがない。(∞という答えはあるが…) 1と2の間がつながっているのか、それとも飛び飛びなのか、それもわからない。 幾何の世界でも、平行線は交わらないというユークリッドの世界に限れば、正解はあるが、世の中には平行線が交わるという幾何もあり、これもややこしい。 物理の世界では、F=mαというニュートンの運動方程式は、ずっと正解だった。 しかし、アインシュタインが相対性理論をうち立てたり、素粒子物理学というようなものが出てくると、何が正解かわからなくなった。 そうなると、科学に正解があるとは言えない。 人間がわかればわかるほど、わからなくなる、というのが心理だろう。 もちろん、実用的にはOKなのだが…。 そう考えると、地理や歴史というのは正解がある。 1600年に関ヶ原の戦い、というのは正解だ。 鳴くよウグイス平安京、いい国つくろと鎌倉幕府…、これも正解だ。 地球上にいる限り、赤道や子午線という名前も変わらない。 ただ、意味を問われると、突然難しくなる。 正解は一つとは限らない。 関ヶ原の戦いでは、東が勝つのだが、その意味は何か?と聞かれると答えはいくつもありそうだ。 そうなると、やっぱり学校の勉強は楽なのかもしれない。 これが正解だと教えてくれる。 問題集の巻末には、解答集がある。 世の中には答えがない。 答えは自分で作らないといけない。 答えがある問いばかりやっていて、答えがない問題が解けるのか。 少なくとも、答えがある問いに答えられるようになっていないと、答えがない問題につきあたった時に手も足もでない、というのが今の教育原理なのかもしれない。 しかし、実際には答えのない問いを立てることが、一番難しい。 何だかわからないのだが、何とかしなくてはいけない、という時に問題を発見し、問いを立てること…。 そのために、何をやったらいいのか。 だれか教えてくれないか。 |
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