考えたこと2

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雪の女王 最終回
NHKで日曜日にやっていたアンデルセンのアニメ「雪の女王」が終わってしまった。
先週の日曜日が最終回だったが、仕事で見られなかったので、今日録画を見た。

この話は、ゲルダという女の子が、雪の女王が住む氷の城の鏡が割れてしまった事で、離ればなれになってしまった仲良しのカイという男の子を探し求めて旅をする、という物語。

氷の城の割れた鏡の破片がカイの目に入り、カイの心が魔王に犯されてしまい、人が変わってしまったカイは雪の女王に連れて行かれてしまう。そのカイを追いかけて、ゲルダは旅を始める。

旅の途中で、雪の女王と関係のある吟遊詩人、ラギと出会う。ラギはゲルダを助け、氷の城を目指すが、最後の難所である大氷河でクレバスに落ち、自らゲルダと自分をつなぐ命綱を切って、死んでしまう。
しかし、ラギは雪の女王に助けられ、復活して氷の城に来る。

吟遊詩人のラギと雪の女王が、最後に和解をする。

ラギは、元軍人で、雪山で部下と遭難し、一人だけ雪の女王に助けられ、残りの部下を見捨てられたと思っていたが、実は雪の女王はみんなを助けようとしたが、ラギ以外は既に亡くなっていたということがわかる。
ラギと雪の女王の別れのシーンがせつない。

ラギは、雪の女王に言う。

「どうして二度まで自分を生かした?もしそんな力があるならなぜ、私の部下を救ってくれなかったのだ?」

「あなたの部下たちは、もう手遅れでした。私が気づいて駆けつけたときは、もうみんな神に召された後だったのです。息があったのは、ラギ、あなた一人でした。でも、あなただけを助けたことで、私はあなたに苦しみを与えてしまったのですね。」

「そうか、そうだったのか…部下たちを助けようとしてくれたのか…。私が、私が勝手に誤解していただけだったんだ。」

「二度まで生かしたとあなたは言いましたが、私がしたことなど、たいして重要なことではありません。重要なのは、もっと大切なのは、生を受けたものがどう生きるのか、ということです。良い旅を、ラギ。」

そして、故郷に近づいたゲルダは、別れの前に雪の女王に、なぜ、カイを氷の城に連れて行くことを選んだのか?と聞いた時のことをカイに話す。

雪の女王はこう言った。

「カイがいい友達を持っていたからです。いい友達を持っている子は、どんなときにもがんばれるのです。その友達の暖かい心に見守られて、励まされて…。ゲルダ、私が選んだのはカイだけじゃなかったの…。二人を選んだのよ。」

ゲルダは言う。

「よくわからなかったけど…。なんか…なんかとてもうれしかった。」

故郷に帰った二人は、仲良く暮らし、年月が経って、結ばれる…。
結婚式は6月だったが、雪が降る。

その雪は、きっと雪の女王からの祝福の雪だったんだろう…。ラギのナレーションで番組は終わる。

こんなにいい番組、NHKにお金を払う価値がある。


| | 考えたこと | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロマンチック
ロマンチックとは、どういうことだろう?

英和辞典でロマンチックをひくと、「〈人が〉空想にふける, 空想的な」と書いてある。
今ひとつ、意味がわかりにくい。

Wikipediaでロマン主義をひくと、「ロマン主義の底流に流れているものは、自由主義、内面性の重視、感情の尊重、想像性の開放といった特性であり、好まれる主題としては、異国的なもの、未知のもの、隠れたもの、はるかなるもの(特に、自分たちの文化の精神的な故郷、古代文化)、神秘的なもの(言葉で語れないもの)、夢と現実の混交、更には、憂鬱、不安、動揺、苦悩、自然愛などを挙げることができる。」と書いてある。

僕は、ロマンチックとは、「カタチのないものを信じる心」だと思う。

Wikipediaに出ている、内面性とか、感情とか、想像性とかいうものは、みんなカタチのないものだ。
はるかなものとか、神秘的なもの(言葉で語れないもの)、未知のものというのも、カタチのないものだ。

もちろん、愛や恋というものも、カタチのないものであり、それを信じることはロマンチックだろう。

でも、自分が大事だと思うもの、信念や信条みたいなものを信じる気持ちも、「ロマンチック」という表現になると思う。

「ロマンがある」というのは、自分が信じる「カタチのないもの」に自分の行動を託すというようなことではないか。

真実は、現実の中よりも、物語の中にある・・・というような気持ちも、ロマンチックだと思う。

すこし硬くなるが、「私はこうなんだ」というような姿勢も、ロマンチックだと思う。

人それぞれ、ロマンチックになる対象は違うだろうが、たくさんの「カタチのないもの」を信じられる人は、ロマンチックな人であって、すごく人間的な人だと思う。

なぜなら、人間以外の動物は「カタチのないもの」をそんなにたくさん信じられないからだ。
(親子の愛情などの気持ちは、哺乳類にはあるから、それはロマンチックだろうけど)

現実を見つめることは大事だが、その現実に対応する行動がロマンチックであることはもっと大事だと思う。

ロマンチスト(これは和製英語で、正確にはロマンチシスト)は今の世の中にすごく必要とされているのだ。

ロマンチストのみなさん、自信を持ちましょう。



| | 考えたこと | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) |