考えたこと2

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2014年の10大ニュース
予断と偏見に満ちあふれた10大ニュース。

10位は御嶽山の噴火。
火山国である日本にいるということを再認識させられた。噴火は怖い。
地震と同じで、なかなか予知もできないだろう。

9位は中国の海洋進出。
東シナ海でサンゴを取るのを放置したり、南シナ海で領土を主張したり、どうもやっていることがむちゃくちゃだ。
中国との経済関係は深まっているが、やっぱり日米同盟は堅持すべきだと思う。
昔の日本人は知らないが、今は戦後の教育の効果もあって、アメリカにシンパシーがある。

8位はイスラム国の問題。
誰かが一神教が世界を滅ぼすと言っていたが、イスラム国を見ていると、ちょっと危ない。
中国にもイスラム教徒がいて、共産党とぶつかっている。
西欧では大きな問題になっているが、日本人はどうも宗教戦争がわからない。
古代から八百万の神がいて、神様も人間のように争ったりしていたからか。
でも、これは世界的には大きな問題だと思う。

7位はタカタのリコール。
シートベルトの会社だと思っていたら、エアバッグも作っていた。
もともと、使われない方がいい部品だけに、不具合がわかりにくい。
しかし、安全のために搭載しているのだから、いざというときにはちゃんと動作してほしい。
リコールが後手に回って、日本車の評判を落としてしまった。
いろいろと事情はあったのだろうが、残念。

6位は朝日新聞の慰安婦問題。
誤報とわかっていて、それを誤報と認めたのに、謝罪もなく、海外メディアへの現地語での訂正もしないという、マスコミとしては失格だと思う。
この報道がどれだけ世界で嘘を撒き散らかしたか、どれだけ日本人が蔑まれたか、わかっているのだろうか。

5位は青色LEDの開発者のノーベル賞受賞。
青色LEDはエジソン以来、世界の明かりを変える大発明。
それが認められての受賞。今まで実用的な発明はあまり対象にならなかったが、これで流れが変わるかもしれない。

4位は香港の民主化デモ。
香港の学生が中国本土に対してデモをした。
そのことだけでもエライと思う。

3位はロシアのクリミア併合。
これは今後の世界のロシアに対する態度によるが、後世に残る歴史かもしれない。

2位 野々村議員の号泣会見
これは日本国内では、すごいニュースだったと思う。
民主主義は地方自治からというが、これはもう痴呆自治だ。
立候補した議員も悪いが、選んだ県民も悪い。
戦争が終わって、70年。
民主主義がいかに日本に根付いていないかということを極限まで思い知らされた。
面白うてやがて悲しきニュースだった。

1位はSTAP騒動にしたい。
何度か書いたが、日本の高等教育がだいぶおかしくなっているという観点から、この騒動を1位にしたいと思う。
だれか何とかしてくれ。

ということで、本年度は終了。
読んでいただいた方、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。







| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
オトナというもの
小林秀雄がずっと昔の講演の中で言っていたが、歳をとるということは、よくないことだというような感覚が現代(おそらく昭和40年代)にはあるという。
自分はそれはよくないと思う、ということだった。

「お若く見えます」というのは褒め言葉と思われているが、はたしてそうなのか、ということだ。
歳をとったら、歳をとったなりになればいい、というか、なるべきだ、ということになる。

小林は、今の世の中は、全て合理的になりすぎているともいう。
合理的な考えには、年齢はない。
若かろうが、歳をとっていようが、合理的なものは合理的だ。
しかし、世の中合理的だからいいというものではない。
というか、世の中は合理的でないものばかりだ。
だから、その世の中を渡っていくために、年寄りの知恵が必要になる。
そういうのを昔は隠居と言った。
残念ながら今の世の中、隠居は求められていない。

でも、本当は合理的ではない世界だから、うまくいかない。
この小林秀雄の意見は当たっていると思う。

特に平成になってから、オトナ不在がひどくなってきたような気がする。
戦前の世代である、昭和ヒトケタが、社会の第一線からいなくなってしまったからか。
ぼちぼちその頃の昭和ヒトケタに近づいてきたが、ぼく自身、まだまだコドモなのだと感じる。

アメリカから習って始めた戦後の教育は、主義としては正しいと思うが、その根本の精神を教えるところまでいかなかったのだろう。
そういう歴史をたどってこなかったからなあ。
だから、ぼくらを含めて戦後の日本はコドモばかりになったのかもしれない。

STAP騒動を見ても、あれはどう考えてもコドモのやったことだ。
それが理研という国の税金を投入した組織も巻き込んで、騒動を起こした。
理研も功に目がくらんだコドモだった。
ノーベル賞を取った理事長も大変だ。

野々村議員の号泣会見にしても、同じだ。
あれこそ、悪いことを見つかって怒られたら、泣いて謝ったら許してもらえるという、まことにコドモな出来事。
余談だが、野々村議員のおかげで、たくさんの地方議会のいい加減さがわかったことはよかったと思う。
国会議員もいい加減だが、地方議員はもっとひどい。
これではいくらお金をつぎ込んでも、地方創生などできないのではないか。

今必要とされるのは、横丁の隠居のような人だろう。
残念ながら、もうほとんどいないのだが…。




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