考えたこと2

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日本の半導体産業
元富士通の人が日本の半導体が凋落した原因を語っていた。
今の若い人たちは知らないが、日本の半導体はほんの40年ほど前には世界を支える勢いだった。
世界シェアは、1988年の約50%から2019年には約10%まで落ちてしまった。

家電だって、世界中で有名だった。
今はアメリカ、台湾、中国あたりが強いのだが、それ以上の勢いだった。

現在、半導体不足と言われているが、当時より半導体の利用は増えていて、本当に惜しいと思う。
ぼくもなぜ日本の半導体がダメになったのか、知りたかった。

1960年代の初め頃、ソニーがトランジスタラジオを発売して、父が買ってきたのを思い出す。
思えばあのトランジスタが半導体の幕開けだった。
それまでは真空管を使っていたが、それが豆粒大のトランジスタに置き換わって、飛躍的に値段も下がり、信頼性も上がった。
当時のソニーのラジオは今のスマホを分厚くしたような大きさ。
ダイヤルで周波数を合わせると、ラジオ局の声が聞こえた。
自慢気にラジオを持って帰ってきた父を思い出す。

ぼくが中学の時にはもうトランジスタラジオなどという言葉はなかった。
ラジオはトランジスタが当たり前だったからだ。
FM局が開局し、ステレオ放送が聞けるようになった。
電界効果トランジスタ(FET)というようなものも出てきた。
オーディオ業界は、ソニー、パナソニック、三菱電機、シャープ、東芝、日立、オンキョー、サンスイなど、高度成長と相まって本当に世界を席巻する勢いだった。

そして1970年代には、大型コンピューターの時代が始まり、1980年代には世界のIBMが日本の富士通やNEC、日立などを訴えた。
プログラムの著作権を使って、なりふり構わずやってきた。
それだけ危機感が大きかったということだ。

そのあたりから、どんどん不調になった。
もともと、アメリカやヨーロッパに追いつけ追い越せでやってきたしわ寄せも来たのだろう。
それでもまだ50%のシェアを持っていたのだ。

時代はパソコンになって、品質よりも値段が大事になった。
それまでの日本の半導体は35年保証の世界だったが、パソコンはもっと寿命が短く、10年も使わないからだ。
今ではそれがスマホになった。
台湾のTSMCは技術開発についてはスマホに照準を当てているとのこと。
日本の半導体産業は、その流れに乗り遅れたということだろう。

その原因はあくまで半導体は会社の一部門だったからだという。
決定権がなく、大きな投資ができなかった。
日本は2000年代になって半導体事業が総合電機から独立したが、欧米に比べて10年遅かった。
その間に設備投資も膨大になった。

資金力もなく、技術者も流出し、今や世界シェアも10%まで落ちた。

一つの原因は人事制度。
それが壁になって、優秀な人財を登用できなかった。
人材の流動性が低い日本は、トップの人財の処遇ができない。
高給が払えないからだ。

もう一度、半導体の強い日本に戻すためには、まずは人の流動性を上げないといけない。

手遅れかもしれないが…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |