考えたこと2

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相馬に行く2の1
4年前に相馬に行った。
60歳で定年したのち、再雇用を望まず、東北の震災の復興支援NPOで働いている会社の後輩(年は上だが)のN君を訪ねた。

4年経って、彼ももう65歳。
これからどうするのか、話を聞きたかったのと、原発付近を見てくるのが目的。
考えたら、前回行ってから新幹線には乗ってなかったように思う。
東京に行く時はずっと車だったからなあ。

今回は贅沢に新幹線で移動。
仙台までなら飛行機の方が早くて安いのだが、電車の方が好きだから張り込んだ。

朝の新大阪も、新幹線乗り場も、圧倒的に人が少ない。
これでは経済が回復するわけがない。
新大阪を出て京都からは乗ってくる人もいない。
自粛の度合いと乗降客数は比例するのだろう。

東京で東北新幹線に乗り換えて、やまびこに乗った。
これも2割くらいの乗車率。
こんな状態やったら、リニアは保留だろうなあ。

そうこうするうちに仙台に着いて、鈍行で1時間。
飛行機できたS君と再会。
5年ぶりに会う。
S君は8月末で定年したところ。
再雇用で、まだ会社に行くらしい。

そして相馬でN君と再会。
半パンで仕事を休んで来てくれた。
聞くとNPOの事務所もリモートワークになっているとのこと。
世の中、もうリモートになっているのか。

ホテルにチェックインして、市内をまわる。
名所の神社、珍しい二宮尊徳が座っているところの石像、立ったら奈良の大仏より大きいという観音像など。
ぼくは2回目だったが、流石に4年間の歳月がN君の説明を上手にしていた。

そして、地震と津波の鎮魂記念館、観光協会、お土産の醤油を買いに行った。
ここでもさすがにN君は顔見知りになっていた。

そして、S君の定年退職の宴会。
4年前にも行った飲み屋。
魚が美味しくて、食べ過ぎた。

ぼくは酒の席で自分の大学での経験を話したが、それはわかってもらえなかったようだ。
仕方がない。
経験してないから、わからないこともある。

N君はいつまでもここで仕事をするつもりはないが…、と言っていた。
まだどうするつもりか決まっていない、ということだ。

60歳を過ぎて、どう生きるかは難しい。

ということで、また明日。


| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
理想中毒
若い頃、理想に走るのは若者の特権でもある。
身も蓋もない言い方をすれば、世の中の事を知らないから理想に走れる、ということだ。
しかし、大多数の若者はそういう理想を持たずに過ごすし、持っていても行動に起こさず、大人になるのだと思う。

大学で就職支援の仕事をしていたとき、大学間連携の団体で、世界平和を目指しているという活動をしているという学生と話したことがある。
働く目的は何か?と聞くと「世界平和の実現」という。
まあ、それは置いといて、もっと身近な目的は?と聞いても「世界平和」だという。
頭の中で「世界平和」が花園のようになっていた。

また、ゼミでCSR(企業の社会的責任)を勉強している学生もいた。
彼はCSRの担当を志望していて、企業で最も大事なのはCSRという考えを持っていた。
こちらも、まず利益を上げて、余裕ができた企業がCSR活動に力を入れるので、まずは利益を上げられる人が必要とされるのではないか、と言ったがなかなか聞き入れられなかった。

もちろん、どちらの学生も内定はなかなか出なかった。
企業の目的はまずは利益を上げることであり、慈善事業だけをやっているのではないからだ。

後者の学生については、ゼミの教員にどんな事をやっているのかを聞いたが、CSRが必要になってきた意味とか意義とか、なぜそれが大事か、というような事をやっているようだった。

年寄りが若者に対して理想を語るのは程々にするべきだと思う。
なぜなら、理想が現実になっていないのにはそれなりの理由があるからだ。
それが世にいう適法だがダーティーなビジネスの場合もあるし、商習慣として従来からやっている場合もある。

企業の存続のためには、まずは儲けることが必要だ。
正当な利益を得て、社員に給料を払い、株主に配当し、税金を払う。
法律を守って、それらを行っていれば、企業は存在できる。
それができる社員がほしいのだ。

大学は社会から隔離されているが故に、そこでずっと育ってきた教員は理想(ある意味では偏見)を持っていることが多い。
ステレオタイプで言えば「企業が儲けるのは悪事をしているからだ」というようなもの。
そういうことを教えている人もいた。

CSRなども同じこと。
あたかも、それが企業の目的のように教えている。
それに走った学生は、結局就職に苦労することになる。

大学のセンセイは社会から切り離された安全な場所で、収入は確保したうえで、理想を語っている、という現実をわかっているのだろうか。

少しは現実を知り、若い人に無責任に理想を語ることの罪を悟ってほしいのだが…。


| | 考えたこと | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |