考えたこと2

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カーペンターズの謎
昨日はモーツアルトのレクイエムを神戸文化ホールに聞きに行った。
どうも、モーツアルトはぼくには合わなかったと思う。
ほとんど寝てしまった。

神戸文化ホールに来たのは2回めだと思っていた。
1回目は若い頃に、カーペンターズを聞きに来た。
まだ日本で売れ始めた頃。

あれはいつだったのかと調べてみると、カーペンターズは神戸文化ホールで公演はしていない。
隣の神戸市立中央体育館でやっていた。
さらに、何となく中学の時に見に行ったような気がしていたのだが、公演は1976年だった。
というと、大学の1回生になる。
当時すでに人気があったから、公演数を増やしたのと、たくさん入るところでやりたいという興行主の考えもあって、体育館になったんだろうと思う。
彼らにしたら、隣に良いホールがあるのに、何で体育館?ということだったろう。

どういう経緯でチケットを入手したのかは覚えていない。
友達と2人で行ったような気がするが、誰と一緒に行ったかも忘れた。
でも、行ったことには間違いがない。
きっと、公演記録どおり、1976年3月19日に行ったのだ。

カレン・カーペンターがまだまだ元気な時で、ドレスを着てドラムを叩いていた。
ぼくがライブに行った世界的アーティストというと、その時のカーペンターズだけだ。

あんなに若くして亡くなるとは思わなかった。
ちょうどマルチチャンネルのレコーダーが出てきて、声をオーバーダビングできるようになった頃。
あのきれいなコーラスは、今でも並ぶものがないと思う。

バート・バカラックの「遙かなる影」を歌ったのが彼らを知るきっかけ。
当時バート・バカラックが好きだったので、そこから入った。
あのカントリー風のアルトの声は本当に魅力的だった。

それにしても、何で中学の時に行ったと記憶していたのだろう。
ひょっとしたら、中学のときの悪友が誘ってくれたのかもしれない。
H君という、今では疎遠になっている友人。
ちょうど大学の1回生の頃までは、音信があった。
だから、中学の時に行ったという記憶になったのか…。

しかし、昨日行ったおかげで、カーペンターズの記憶を修正することができてよかった。
レクイエムは、カレン・カーペンターへのレクイエムだったのだろう。

寝てしまって、申し訳ないと反省した。



| | 考えたこと | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育問題
元小学校教員の中沢良平氏のブログを時々読む。
小学校の現場を経験したこの人のブログを読むと、いつも考えさせられる。
見ていると、「学級崩壊がニュースになる間は日本企業の復活はない」という記事があった。

教員は、「学級の秩序を維持すること」を一番期待されるから、無茶な学級経営を強いられる、という内容。
これは、一番コントロールが効かない生徒に照準を合わせて運営されるから、普通の生徒は萎縮するということだ。
普通の生徒は、教員は恐ろしい、教員の言うことは聞かなくては、と思ってしまう。
これが短くて6年、長くて12年続けば、大人になっても自分で物事の軽重を判断できなくなるのではないか、と書かれている。
そうかもしれない。
中沢氏は、この問題が「学級問題の最大の瑕疵なのではないか」と考えているとのこと。

教員たちは、これしか学級の安定を維持できる方法がないから、そうやっている。
中沢氏は教室に防犯カメラを付けて、第三者による監視をすればいいとまで思っているとのこと。
ぼくらは知らないが、本当にそういうレベルになっているんだろうか。
教室は密室だから、わからない。

彼はこうも書く。

「発達障害、とくにADHDが問題になっていますが、彼らの対応はどうするべきでしょうか?やっぱり、規律に従わせるべきでしょうか。教員はかなり無理な対応を迫られるでしょう。そして規律を守らせることによって、そんな威圧をかけなくても規律を守れる児童はますます委縮します。それにADHDのように今後日本経済に必要とされる「尖った才能」もかなりの確率でつぶされるでしょう。(実際つぶされています。)
長じて、だれか怖い人の言うことに従って行き詰った結果、会社で挫折をしたら、自殺もしかねないのではないでしょうか。ゆえに和を乱さず、忖度し、前例を踏襲して、自分の殻に閉じこもってしまいます。今の日本企業にいちばん必要な「現状変更」からいちばん遠い人間を量産しつづけているのです。そして多くの企業側も、現状を忖度して維持してくれる人材を嘱望しつづけています。まさに、学校化する会社 会社化する学校です。」

小学校の問題は根が深い。
発達心理学上、小さい頃に習得するべきものを習得しないと、もう大きくなってからは同じようにはできない。
だから、小学校こそ一番大事なのだと思う。

国は高等教育に力を入れようとしているが、それは全く逆だ。
初等教育にこそ、力を入れないといけない。

ぼくは、そのためには小学校にもっと民間人を入れるべきだと思う。
学校の先生を増やすよりも、そちらの方が効果があると思う。

何度も同じことを言っているが…。


| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |