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2016.11.03 Thursday
文化の日
今年も文化の日が来た。
年末が近くなったということだ。 ぼくらの小学校や中学校の頃は、文化祭みたいなものがあった。 小学校の頃は合唱や合奏をしたり、高学年になると演劇をやったと思う。 中学でも同じようなものだった。 息子らの時には、音楽祭はあったが、演劇はなかった。 やってるところは多いんだろうか。 ぼくの中学は1学年11クラスもあったが、それぞれのクラスで演劇をやった記憶がある。 人前で何かを演じるというのが嫌で、役を決める時にはひっそりと気配を消していた。 一応、みんな大道具とか小道具とか照明とか、何かの役につくことになっていたと思う。 いったいどうやって、いつ練習したのか、もう忘れた。 それでも、確かに昭和40年代にはそういうイベントがあったはず。 グーグルで検索すると、いまでもクラス対抗で演劇をやっている中学や高校もあるようだ。 でも、演劇というとみんなが出られるわけではないから、止めてしまったところも多いのだろう。 ぼくらの中学は公立で、1学年11クラスもあって、いちいち先生は指導などしてられないから、中学生が自主的に演劇をやったということだ。 今から考えるとエライものだ。 記憶をたどると、3年生だけだったかもしれない。 平田オリザが書いているが、子どもの数が減り、地域のコミュニティが崩れ、「学校でも、優しい先生が、子どもたちの気持ちを察して指導を行う。クラスの中でも、イジメを受けるのはもちろん、する方だっていやなので、衝突を回避して、気のあった小さな仲間同士でしか喋らない、行動しない。こうして、わかりあう、察しあう、温室のようなコミュニケーションが続いていく。」という指摘はある程度当たっているのだろう。 今は大学院で演劇を利用したワークショップをやっているという。 そういう事が必要とされているのだ。 たしかに昭和40年代は子供の数が多く、雑然とした時代だったのかもしれない。 まだまだ先生はエライ人だったし、授業中歩き回るような生徒は皆無だった。 だからこそ、そういう文化祭ができたのだろう。 人前で演技など…と思っていたぼくは、大学に入って落研に入り舞台に出た。 人は変わるものだ。 舞台でウケた時の一体感はやみつきになる。 息子の高校の文化祭では、演劇部の公演があって、毎年それを楽しみにしていた。 一時部員が激減して、先生も一緒に出ていた時期もあったが、また盛り返してよかった。 就職支援の仕事をしている時には、演劇が役に立つのではないかと思った時期もあった。 平田オリザが言っているように、「演劇」という芸術様式は他者を必要とするもので、文学や絵画とはまったく違う。 井上ひさしも講演で、いい舞台はその時だけのものであり、お客さんも舞台と一つになる、ということを言っていた。 他者とコミュニケーションすることを学ぶには、いいのだろう。 芸術の秋、久しぶりに演劇を見たくなった。 |
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