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2016.11.01 Tuesday
おいとまする
この言葉もあまり聞かなくなった。
帰る時に「おいとまします」という挨拶。 ぼくらの世代はテレビなどで聞いたことはあるが、あまり使わないような気がする。 東京の山の手の言葉というイメージだ。 今なら「失礼します」という感じだが、それより上品なニュアンス。 誰かの家を訪問して、食事の時間が迫り「ぼちぼちおいとまします」というふうに使うのが一般的。 「おいとま」というのは漢字で「お暇」と書く。 クビにすることを「いとまをとらせる」と言ったりもする。 時代劇の世代の言葉かな。 「いとま」というのは文字通り「暇」のことで、「何もすることがない時間」という意味らしい。 そこから転じて、「おいとまします」というのが「お別れする」という意味になった。 別れてしまったら、何もすることがない、ということだろうか。 「いとまごい」という言葉もある。 漢字で「暇乞い」と書くが、これは「もう二度と会えない」というような感じの別れの挨拶だ。 時代劇の記憶では、切腹する侍が許されるのが「暇乞い」だったような気がする。 死ぬ前に何か言っておきたいことがあれば、ということだ。 ちょっと意味は違うが、「枚挙にいとまがない」の「いとま」も何もすることがない時間という意味だろう。 枚挙しっぱなしで、休みがない、ということだ。 何となく優雅な響きがある「おいとまします」。 こういう日本語も消えていく運命か。 でも、この世から消えて亡くなる時には、「失礼します」ではなく、「おいとまします」の方がしっくりくる。 フランス語には「さようなら」という意味の「Au revoir(オボワ)」という挨拶の他に、「Adieu(アデュー 天国で会おう)」という今生の別れの挨拶もある。 ぼくには「おいとまします」は、何となくそういうニュアンスが感じられる。 この世からぼちぼちおいとまして、あの世に行きます、という感じ。 別に「失礼します」でもいいのだが、ちょっとこだわりがある。 やっぱり優雅に亡くなりたいではないか。 |
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