考えたこと2

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オトナのセリフ
ケーブルテレビに時代劇専門チャンネルというのがあって、最近よく見る。

古い時代劇のドラマをハイビジョン化して放送したりしている。
昔はたくさん時代劇をやっていた。
アメリカの西部劇みたいなものだ。

ぼくらの世代なら、水戸黄門を筆頭に、遠山の金さん、大岡越前、銭形平次など知らぬ人はいないだろう。
それくらい時代劇は身近なものだった。
今のドラマのように、出演者の年代が若くない。
10代の出演者など一人もいない。

北大路欣也が主演していた、関八州捕物控えというシリーズがある。
2007年に8回シリーズで放映されたらしい。
もっと続けるつもりが視聴率が低かったんだろう。
いま見ても面白いのだが…。

オトナが出てくる番組では、オトナのセリフが語られる。
最終回で主人公はこう語る。

「人はいつか己の生業のためだけに生きていけなくなる」

ほとんど出張で、関東の諸藩を回るという仕事だが、主人公には幼い娘が一人いる。
母親は早くに亡くなった。
叔母がほとんど娘の面倒を見ている。
そんな娘がいじらしくて、ぼちぼち仕事を辞めようという時のセリフだ。

好きでやっている仕事だが、娘のことを考えるといつまでもやっていられない。
家庭と仕事の葛藤に悩む。

結局は娘が今の仕事を続けてほしい、ということで、めでたしめでたしとなるのだが、今のテレビで「生業」という言葉を聞くことは珍しく、新鮮だった。

時代劇というか、ドラマは予算がかかるということで、今はものすごく少なくなった。

77年には週に32本もあったらしい。
どこのチャンネルを回しても、作るのが楽なバラエティ番組ばかり。
たまにドラマをやっていても、出演者のほとんどは役者とはいえない、素人みたいな芸人や歌手ばかり。

日本では、まともなドラマは映画でしか見られなくなった。

もう地上波のテレビは終わっているのだろう。


| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
海外出張8
最後に海外出張したのはルクセンブルグとアメリカ。
ルクセンブルグには1回、アメリカには3回行った。

アメリカに本社を置く会社と提携したからだ。

一度だけ、日本→ルクセンブルグ→アメリカ→日本というルートで世界を一周した。
全部格安の切符だったが、さすがに往きの便をアップグレードしてくれた。

最初にアメリカに行ったときは、お互いの調査の一環だった。
アメリカ人は、日本人のビジネスマナーを学んで、名刺交換の仕方なども練習したらしい。
向こうでは普通片手で渡すビジネスカードだが、相手が日本人の場合は、両手でお辞儀しながら渡す、というのがマナー。

ずっと見学と会議。
日本から3人ほど行ったが、消耗する出張だった。
最後にゲストハウスでバーベキューをしてくれた。
この時はぼくがリーダーだったので、挨拶をした。
ぼくらの世代にとって、アメリカというのは良くも悪くも一番なじみの国。
その国で、スーツを着て、大勢の人の前で挨拶をする、という事は何となく気恥ずかしく、でもうれしかった。

次にルクセンブルグのヨーロッパ支社に行った。
ヨーロッパ人は名刺交換のマナーなど習わない。
アメリカとは全く違うリアクション。
文化の歴史が違う。
欧州人は長い歴史の中で、他国と交渉することで生き残ってきた。
資本の上ではアメリカにはかなわなかったし、第二次大戦の時の連合軍というのはアメリカ抜きには語れない。

この時は、ブラックボックスだったコンピューターのプログラムの話で行った。
担当者はいい人で、日本が興味を持ったと言うことを喜んでいる様子だった。
ぼくらは素直に、彼らの技術は素晴らしいと伝えた。

ぼくが以前の会社でした最後の仕事の一つが、この技術移転だった。
大変だったが、やりがいもあった。

懐かしい。

これでぼくの海外出張の記録は終わり。

| | 考えたこと | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |