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2014.05.29 Thursday
うまくいかなかったらどうするのか その4
それらの先生方のカリキュラムをいじって、科目内容は変わらないが、組み換えを行って学部改組を行うという手順だった。
細かいことは割愛するが、二つの学科の特性を活かして、いくつかのコースを作るという手だ。 全面的に信頼する先生の考えに従った。 この先生は本当にスゴイと感心した。 この先生に会わなかったら、ぼくの先生観はもっと違ったものになっていただろう。 思ったのは、この人なら企業でも大学でもやっていけるだろう、ということだ。 ぼくらが取った戦略は、高校生から見ると、間口は広くなるように見える。 こういうやり方をすると、結果的にまだ何を学びたいかわからない、という生徒が来やすくなるのだとあとで思った。 弊害としては、無目的な生徒たちが「とりあえず」入ってきたということだ。 これは大学にとって、結構大きな問題になる。 なにかしらの目的を持ってくれていないと、やる気が出ず、学校にコミットしない学生が増えてしまうからだ。 こういう学生が増えると、授業を聞かない、私語が増える、学校の用意した課外活動に興味を示さないなど、学校としての体をなさなくなる。 今の一般的な文系私立大学は、手を変え品を変え、学生が学校に対してコミットするように誘導している。 伝統的な体育会、文化部もあるが、それ以外にも、やれプロジェクトだ、課外授業だ、先輩の話だ、イベントだ、と忙しい。 話は飛ぶが、こないだやっていた近大の入学式だが、これはつんくがプロデュースしたショーだ。 学長の挨拶は手短に終えて、後は舞台で近大生が活躍する。 こういうことをやるのも、関関同立を落ちて仕方なく入ってくる学生に、「ここで良かった」と思わせるためだ。 それだけ、学生のコミットを大学は重視している。 そしてそのターゲットは「舞台で活躍する近大生を見て、自分もできる」と思う層である。 「勉強して、こうなりたい」などと思う層ではない。 これはある種の賭けだろう。 たしかに、「ここで良かった」と思う学生もいるだろうが、あのショーを見て「え、こんなところに来てしまったのか」と思う学生もいるからだ。 とかく、下の層が目立つから、ついついそこをターゲットにしてしまう。 でも、それによって上のほうが離れていくということもある。 どう出るかな…。 まあ、近大の入学式を見ると、関関同立以下は苦戦しているということだろう。 近大があんな入学式をやって、評判をとると、きっと京都産大、龍谷、甲南あたりが何かマネするかもしれないなあ。 近大は体育会の組織率も下がってきたということだから、危機感を感じているのだろう。 とにかく、入って良かった、と思わさないと教育が成り立たない。 ようやく、本題に入るが、この改組の作業をしている時に、何度も言われて辟易としたことがある。 それが「うまくいかなかったらどうするのか」ということだ。 今、うまくいっていないから、改組をやろうとしている。 だから、一番悪いのは何もしないことだ。 では、何かをするとしたら、何をするのか、ということになる。 その時点でベストだと思うことをやっているのに、「うまくいかなかったらどうするのか」と聞かれるのにはまいった。 「いや、どうなるかはわかりませんが、何もやらないよりはマシでしょ」ということだ。 そう聞く人に限って、ではどうするのか、という考えはない。 とにかく不安なのだろう。 しまいに、「うまくいかなかったら、潰れたらいいでしょう」と言うと、「何ということを言うか」と言われる。 それなら、自分で何かしたらいいのだ。 ぼくも、存亡の危機だとわかっているし、それだからこそやっているのに、それこそ「何ということを言うか」と言い返したくなる。 こういうのは、会社ではなかった。 わかっている人は意見を言うし、わからない人は激励する。 それがふつうの組織だ。 何が「うまくいかなかったらどうする」だ。 思い出しても腹が立つ。 こういう当事者意識が欠如している人たちがいるから、大学はよくならないのだろう。 やっとこれで一件落着した。 とりあえずは終わりです。 |
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