考えたこと2

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仕事は楽しいかね?
仕事は楽しいかね? デイル・ドーテン著 きこ出版

アマゾンの書評を見て、中古で1円で購入。ただし送料は257円。
アメリカの自己啓発本はこういう書き方をする。

こないだ、息子たちと話していたら、二人とも自己啓発本は読まない、とのこと。
そういえば、若い頃はそんな本は読まなかった。
若いということはいいことだ。
ある年齢を越えて、人生に迷いが出てくるとついつい手を出してしまう。

雪のためにシカゴのオヘア空港から帰路につこうとしていた「私」が26時間の足止めをくらっている間に、ビジネスで成功した老人と話をして、その話をもとに「私」が成功をおさめる、という話。
ぼくはこの手の話が結構好きだ。
まるで映画を見ているようなストーリー。
数時間あれば読めてしまう。
一晩の出来事で、人生が変わる、というアメリカン・ドリームのサクセス・ストーリーでもある。

その老人の語りを一部抜き書きしてみる。

「僕はこれまで、仕事上のあらゆる問題は<情熱>があれば解決できると繰り返してきた。たしかにそれはそうなんだ。大好きな仕事をしているなら、人は何時間働いても苦にならないし、問題を解決することが楽しくてしょうがないってことは、創造力に満ちてるってことだしね。懸命さと創造力があれば、どんなこともうまくいく。だから、みんなと同じアドバイスを僕もしてきた。『大好きなことをしろ!』とね。

いいアドバイスには違いない。だけどこれには一つ問題がある。多くの人は、自分がどんな仕事が<大好き>か、どういう仕事をこのさきずっと、毎日、朝から晩までしたいか、わからないということだ。そりゃあ、テニスが好きかもしれないし、もしそうなら世界でも一流の選手になりたいと思うだろう。だけどテニスのスター選手なんて、自分の能力を超えた仕事だってわかっている。だとしたら、好きだとわかったところでどうなるだろう?

たいていの人は、自分には夢中になれるものがないということを、なかなか認めない−だから情熱を陳腐なもののように扱ってしまう。そして、こう言うんだ、『どんなものに夢中になれるかはわからないが、<ほかの人と一緒に働くこと>が好きなのはたしかだ』」

「でも、そんな人たちをだれが責められるだろう。ほとんどの人が、仕事への情熱を目の当たりにすることなく育ってきた。子どものころ、両親が熱狂的なほど熱くなるのを見た課外活動といえば、スポーツくらいなものだ。やがて子どもは、自分はプロのスポーツ選手にはなれそうにないと気づき、心にぽっかりと穴があく。大人になるまで決して埋まることのない大きな穴がね」

「話が横にそれちゃったね。僕が伝えたいのは、理想の仕事についてちゃんとした考えを持っていないなら、物足りなさや取り残されたような思いを抱くだろうってことなんだ。その反面、たとえこれぞと思う仕事に関して夢を持っているとしても、思い込みは禁物なんだ。アメリカの至るところで、人々は精神分析医のところへ詰めかけ、こうぼやいている、『<ずっとしたいと思っていた>仕事をしているのに、なぜか、<やっぱり幸せじゃない>んです。』そういう人は計画を立てることに依存しすぎてる。僕が<目標の弊害>と呼んでいる状態に陥ってるんだ。」

「頭のいい人がする一番愚かな質問は、『あなたは五年後、どんな地位についていたいですか』というものだ。ありがたいことに、僕はこの四十年間、採用面接を受けたことがない−どんな地位についていたいかなんて質問は、大嫌いなんだ。僕はこの先、いまとは違う人間になっていこうと思っている。だけど、いまから五年後に<どんな人間に>なっていたいかなんてわからないし、<どんな地位>についていたいかなんてことは、なおわからないよ。」

「僕たちの社会では、時間や進歩に対して直線的な見方をしている。そういう見方を、学校でじわじわと浸透させるんだ−人生とは、やるべき仕事や習得すべき技術や到達すべきレベルの連続なのですよ。目標を設定して、それに向かって努力しなさい、とね。だけど、人生はそんなに規則正しいものじゃない。規則から外れたところでいろんな教訓を与えてくれるものだ。人生は学校の先生にとっては悪夢だろうね。」

「目標を設定すると、自己管理ができているような気がするものだ−ここをごらん。きみがこの紙のリストにあげた”自分の人生をきちんと管理すること”という項目を。ハハ!人生はそんな扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった−どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね」

「たいていの人は、マンネリ化した生活から抜け出すために目標を設定する。だけど、いいかい、今日の目標は明日のマンネリなんだよ」
「ぼくがいままでに掲げた目標が一つだけある。聞きたいかね?」

”明日は今日と違う自分になる”だよ。

「きみは、そんなの簡単なことじゃないかと思っているのかもしれないね」
「僕のたった一つの目標は、簡単なんてもんじゃない」
「<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、より良くなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも、一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけどわくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」

「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」
「きみは、最初に陸にあがった魚は長期にわたる目標を持っていたと思うかね?」
「もしかしたら、その魚はこう考えただろうか。『ぼくが陸にあがれたら、いつの日か脚を使って歩く陸生の魚が生まれるかもしれないし、やがては、その陸生の魚が車に乗ってショッピングモールに出かけ、シナボンに入ってシナモンロールを食べたりコーヒーを飲んだりするようになるかもしれない』」

「わかってもらえたかな?」

こういう具合だ。

ここに出てくるように、アメリカでも「五年後どうなってていたいか」という質問を採用面接の時にすることがわかって、面白かった。
ぼくは学生に模擬面接をするときに、まさにここに書かれている「五年後どうなっていたいか」ということを聞いていた。
思いつきで仕事をしているわけではなく、「自分が入った会社でどうなりたいか」ということをある程度は考えておかないと、面接は乗り切れないということだ。

でも、この老人の言っている「人生になんて思いどおりにはならない」というのは真実。
会社に入る前から、そんなことを想像しても実際には意味があまりない。
でも、人事の人たちはそういうことを問うのだ。
だから、見本として「5年後は部下の育成にも力を入れて、この分野では自分が任される人になっていたい」とか「エリアマネージャーとして店舗を統括するだけの知識をつけたい」などと言うことを教えていた。
とりあえず「仕事のイメージ」をちゃんと持とう、ということだ。
聞かれるからには、答えなければならないから、仕方ない。

でも、中に一人変わった学生がいた。
「会社に入って、実際に経験していないのだから、自分はどうなりたいか考えることはできません。でも、入ったからには一生懸命やって、目標を持ってやっていきたいと思っています。」
なるほど。それは正解。内定を取った。

こういう言葉は教えて言わせてもダメだ。
本当にそう思っていて、言わないといけないのだと思う。
そうでないと、掘り下げた質問には答えられない。
きっとこの学生は、掘り下げた質問にも堂々と答えたのだろう。

結局、自分の仕事を楽しく感じるかどうかは、自分にかかっている。
ある就職コンサルをやっている人が言った言葉。
「会社がくれるのは、仕事とお金だけ。やりがいは自分でみつけるものだ」
この言葉はその後ずっと使わせてもらった。

そんな言葉をメモしておく。

「事業も仕事も、世の中のほかのすべてのことと同じだ。つまり、偶然の連続だってこと。多くの人が”計画どおりの結果になるものはない”という使い古された決まり文句にうなずくのに、相変わらず大勢の人が計画を立てることを崇め奉っている。計画立案者はもっと少なくてよくて、まぐれ当たり専門家こそもっとたくさん必要なのにね」

やってみることは大事だが、その結果を予想したら間違うということだと思う。人生そういうものだ。

「きみにはね、これでいいやっていう気持ちをもっと持つことが必要なんだよ。統計データーはもっと少なくていい。事実というのは弱い者につけ込む。現実的な情報をこれでもか、これでもか、と出しもしてくる。惚れ込むことのできる車がほしいなら−まずこの車だと決めて、それから事実を調べること。きみが車を選ぶんじゃない−車にきみを選んでもらうんだ」

これはその通りだ。そういうふうに統計を使うのが賢いやり方だと思う。特に今は情報量が多いから、このやり方は正解だ。

「僕は、試してみるすべてのことがうまくいくとは言ってないし、すべての決定が素晴らしいものだとも言ってない。そんなことはあり得ないよ。
繰り返すけど、計画なんてたいていはうまくいかないものだしね。きみにわかってもらいたいのはね、アイデアというものはなかなかうまくいかないかもしれないけど、試してみることはそうじゃないってことなんだ。”<実地演習>に失敗はない”と言ってもよかったかな。それも正しいし、理解はしやすかったかもしれない。
ただ、いいかい。何かをやってみて、それがろくでもないアイデアだとわかったとき、きみはもとの場所に戻ることは絶対にない。必ず、何かを学ぶからだ。学ぶべきことが何もなかった場合は、その前にしていたことに高い価値をおくべきだってこと。そういう意味で僕は、試してみることに失敗はないというのは真実だと思っている。
それをきみにも信じてもらいたい。だけどそれは、”科学的方法”だの”対照のための非実験グループ”だのについてまじめくさって話したいということじゃない。ただ、いろんなことを楽しくやって、新しいことを試してみて、いつもしっかり目を開けておいてほしいってことなんだ。難しいと思うのは、ほかの人に変わってもらおうとすること、違う自分になってもらおうとすることだ。たいていの人は、変化なんて大嫌いだからね。だけど、この白髪まじりの頭の中には、とても重要なフレーズが入ってる。
人は、変化は大嫌いだが、試してみることは好きなんだ。」

まず、やってみることが大事。失敗しても得るものはある。
失敗をおそれて何もしないのは最低だ。
大学というところは前例主義だ。前例があるか、ということが判断基準になる。だから、前例にないことはやらない。
だから、大学は変わらないのだろう。

「多くの人々は−自分の仕事をあまり狭いものに定義しすぎだ。工学技術を駆使した能力が町で一番なら、自分より素晴らしいエンジニアはいないと思ってしまうんだ。だけど、優れたエンジニアであるためには、高い技術だけじゃなくいろんなものが必要だ。アイデアを売る能力もいる。みんなと一緒に働く能力も、話し合いをリードする能力も、無意味な話し合いを避ける能力も。−必要とされる能力は、それこそ何十もあるんだ。
だからこそ、しなければならないことを全部、リストに書き出し続けることが重要になる。そして仕事を再定義し続け、リストをどんどん広げていかなければならないんだよ」

ここで大事なのは、書き出し「続ける」ということだ。
書き出すのは簡単だが、それを続けることは難しい。
でも、それが出来る人が仕事を発展させるのだと思う。

原題は”THE MAX STRATEGY”という。
こういう題の方が、アメリカでは売れるのだろう。
でも、この内容なら、日本では「仕事は楽しいかね?」の方が売れると思う。

海外の会社の社長さんたちは、文章がうまい。
この人も、新聞のコラムニストになって、この本を出したとのこと。

やっぱりビジネスの基本は「書くこと」だと思う。
書けないと話せない。これは真実。

中古で買ってよかった。

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