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2019.06.17 Monday
なつぞら その2
昨日、「なつぞら」には「貧しさ」が感じられない、と書いた。
以前やっていた「ひよっこ」は、昭和の貧しさが感じられるのと対比しての話だ。 その原因は「なつぞら」では、主人公やその周りの人たちが、やりたいことをやっている、という点かもしれない。 主人公はやりたかったアニメーター、兄は役者関係、兄の友だちは記者、北海道の妹は当時珍しい大学進学など。 仕事で「やりたいことをやる」というのは、とても現代的なことで、今でもそういう仕事ができる人はほとんどいないと思う。 ほとんどの人にとって、仕事は結果論であり、あとから振り返って、あれが天職だったなどと思うもの。 日経の「私の履歴書」を見ているとよくわかる。 そこがすごく現代的であり、だから「貧しい」という感じられないのだろう。 「ひよっこ」では主人公や周りの人たちは「生きるために働かないといけない」という状況だった。 それはあの時代、当然すぎるほど当然だったと思う。 そのために都会に出てきて頑張る、という「三丁目の夕日」の世界。 今みたいに、「なぜ働くのか」というような問いはなかった。 それだけ、今は豊かになったということだ。 ぼくらの世代でも、「やりたいこと」をやるにはそれなりのリスクを負って、負け組になる覚悟もしないといけなかった。 それは今も変わらないが、それをやるハードルはだいぶ下がった。 Youtuberになるのに、そんなにお金はかからない。 スマホが一台と、ちょっとした機材があれば、だれでもとりあえずなれる。 これはいいことなんだろう。 ユーミンが書いたブレッド&バターの「あの頃のまま」には、サラリーマンにならず、自由に生きている「君」が歌われているが、それが歌になる時代だったのだろう。 「自由に生きる」ことが難しかった時代。 人類が過ごしてきたほとんどの時代はそうだったし、いまでも途上国ではそうだろう。 豊かさの象徴である「やりたいことをやる」という生き方。 主人公たちがそういう生き方をしていることが、貧しさを感じない原因だと思う。 |
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