考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
CASE
東洋経済の記事があった。
トヨタもEVにシフトせざるを得ないという事を書いている。
これからの自動車業界のキーワードは「CASE」ということだ。
記事の中にこう説明されている。

「自動車業界は今、「100年に1度」といわれる変革期にある。次世代カーのキーワードは「CASE」。C(コネクティビティ=ネットとの接続)、A(オートノマス=自動運転)、S(シェア&サービス)、E(エレクトリックドライブ=電気駆動)の頭文字をつなげた造語だ。」

これからの自動車業界は大変だと思う。
CASEの「E」、電気駆動のところだ。
エンジンがなくなり、モーターに変わることで、部品点数が少なくなる。
ネットによると、エンジンを作るための部品数は1万〜3万個。
モーターを作るための部品数は30〜40個らしい。
自動車全体の部品が10万点だというから、この差は大きい。

さらに、参入障壁が低くなるということもある。
部品点数が少なくなると作るのが飛躍的に簡単になるし、いろんなところからモーターさえ調達すれば、自動車を作ることも簡単になるからだ。
だからこそ、GoogleやAppleが自動車を作るという話も出てくる。

さらに、この影響はそれだけにとどまらず、変速機や駆動伝達系に及ぶ。
いろんな部品が要らなくなる。
排気管や複雑な変速機も不要になるだろう。
日本の自動車産業を支えている部品メーカーのヒエラルキーが崩れる。
それをトヨタも恐れていたのだろう。

トヨタとホンダは燃料電池車を本命として、開発を進めてきた。
EVは航続距離や電池の性能から、まだまだ普及しないという考えだった。
でも、ここに来て電池の性能が上がり、欧州、北米のメーカーもEVに舵を切り始めている。
ハイブリッドでまだいけると思っていたら、だんだんと苦しくなってきた。
日産のリーフやノートePowerの追い上げも急になってきた。
だから、社内のEVの開発を急いでいるらしい。

何せ、100年に一度の変革期だ。

ぼくが生きている間にどこまで進歩するかはわからないが、今までのクルマの有り様がだいぶ変わるだろう。

日本が主導権を取って進めていってほしいものだと思う。

| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
内申書
内申書というのものは、あまり評判が良くない。

でも、そんなに重要なものでもないと思っていた。
ぼくらの時代は、そんなに内申点が重視されていなかったと思う。
兵庫県は兵庫方式という高校入試で、内申を重視しているということだったが、当時の先生がどんな内申点をつけていたかは知らない。
でも、そんなにわけのわからない内申点はつけていなかったのではないかと思う。

中学時代、ぼくはどちらかというと目立たないけどわりと先生の言うことを聞いていたし、そんなに反抗的でもなかった。
提出物はそんなに多くなかったが、出していたし、宿題もやっていた。
マジメな生徒だった。
定期テストの点数はそれなりにいい方だったと思う。

高校になってから、遅めの反抗期が来て、クラスで一番遅刻が多かった。
遅刻といっても、10分や20分の遅刻ではなく、2時間目くらいに行くのだから、確信犯的な遅刻だった。
単に朝起きられなかっただけだったが…。

今は内申書の比重がどの自治体も上がっているらしい。
さらに、学校間の格差をなくそうということで絶対評価にした。
レベルの高い学校で悪い点を取る人と、レベルの低い学校でいい点を取る人を正しい関係にするためだろう。
しかし、それによって、結局はみんなが高い点になったらしい。

ぼくらの頃は相対評価だったはず。
5段階なら、「5」は全体の10%、「4」は15%とかいう数字で決まっているという評価。
絶対に分布は1から5まで広がる。

結果的には上の方に評価点が集中して、レンジが狭くなったという感じだろう。

ぼくは内申書が問題になるのは、先生が恣意的に点をつけることができる、ということだろうと思う。
どうしてもそうなると、先生の顔色を見て生徒が動くようになる。
そんな風に若い人たちを育てておいて、最近の若いものは指示待ちだとか、自分で考えないとかいう。
それはオカシイ。

人が人の評価をすることは難しい。
人は間違う生き物だ。
だからこそ、テストという客観評価をしているのだろう。

生徒をコントロールするために内申書を使ってはイケナイと思う。
それは、ものすごい管理社会だ。

一度どこかの自治体で廃止してみたらいいと思う。
教育の機会はだれしも1度だけだし、「やってみる」ということが教育ではあまり行われない。
でも、そういう試行錯誤も必要なのではないか。

ぼくはそう思う。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |