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2017.03.22 Wednesday
昭和の価値観
就活生の面接をしている金融業の人事の人の発言として、AERAにこんなのがあった。
「受験と同じ感覚なんですね。 小さいころから「将来どんな人生を送りたいか」「どんな仕事に就きたいか」と考える教育をされずに、目の前の受験で偏差値の高い学校に行く、というのを繰り返してきている。 だから、就職も一番人気の会社を受けきらなきゃ、という発想になるんです。」 ぼくは将来どんな人生を送りたいかとか、どんな仕事に就きたいかという教育などされた覚えはない。 金融の人事担当者は43歳だというが、彼は本当にされたんだろうか。 もっとも学校以外では、そういう価値観を刷り込まれた覚えはある。 ぼくらが中学、高校の時は1970年代前半で、まだ「末は博士が大臣か」という言葉が現実味を持って話されていたころ。 ロッキード事件が起こる前で、まだ世の中にみんなが権威と言えるものがあった。 学園ドラマは「みんなのために」とか、「頑張れば報われる」というような価値観を表したものだったと思う。 また、時代劇では「いいものは必ず勝つ」とか、「いいことをしたら、必ず報われる」とか、いわゆる「武士の美学」といったものが尊ばれた。 「恥を忍んで生きるよりは切腹する」とか、「お家のために犠牲になる」とか、「命に代えても守るべき義がある」とか…。 そういうメディアを見て育った年代。 大学受験では、受験戦争と言われ、四当五落と言われていた。 睡眠時間が4時間なら合格で、5時間寝たら不合格、という意味だ。 大学進学率は低かったが、浪人生の比率は高く、受験生ブルースなどが流行り、まだまだ予備校などは今のように認められていなかった。 どちらかというと、予備校などという教育機関は日陰者だった時代。 その後だいぶ経って、当時の教育はつめこみだったとか、暗記中心の教育だったとかの反省に基づいて、落ちこぼれをなくそうという動きになり、習得主義から履修主義に舵が切られ、ゆとり教育でそれが結実した。 それとともに、学校を補完する目的であった塾や予備校にどんどん日が当たるようになり、今や予備校に至っては一部の大学よりも強くなった。 しかし、その間も一貫して「将来どんな人生を送りたいか」とか「どんな仕事に就きたいか」などを考える教育などされていない。 逆に言うと、今はキャリア教育という言葉もあり、それなりの活動も学校によってはしているはず。 一部の小中学校では、就業体験もやっており、力を入れていると聞く。 今のほうがよほどそういう教育をされていると思う。 彼がそんなことを言うのは、教育以外の部分なのではないか。 昭和40年代の学園ドラマなどは、今の道徳教育の教材と言ってもいいくらいのものだったと思う。 時代劇は核家族化とともに陳腐化が進み、今や地上波ではレギュラーではなくなってしまった。 最後まで「勧善懲悪」を掲げて頑張っていた水戸黄門も、2011年に終了した。 あれは、時代劇が予算がかかるとか、若い人に人気がないとか理由はあったが、「勧善懲悪」という理念が陳腐化したのが大きかったと思う。 世の中、何が「善」で何が「悪」かわからなくなったのだ。 こないだまでえらい人だった前東京都知事が悪人のようになるし、海の向こうではマスコミが悪人呼ばわりしていたトランプ氏が大統領になる。 ポストモダンと言われていた、すべての価値は相対的だという思想が今や現実化しているような気がする。 もう頼るべきよすががない。 自分で何かを決めて持たないと、確かなものなどないのだ。 今の若い人たちは、そういう時代背景の中で育った。 だから、目の前の利益を考えて行動するしかない。 自分で哲学を持たなければ、それしかないということだ。 ぼくらはある意味楽だった。 まだ昭和的な価値観があった。 今の若い人たちには、何があるのだろう。 それは「将来どんな人生を送りたいか」「どんな仕事に就きたいか」というよりも、もっと深い問題だと思う。 |
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