考えたこと2

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新卒一括採用
日本では大学を卒業する時に同時に就職するというシステムができている。
それが新卒一括採用。
経済はグローバル化しているが、日本企業はそれに遅れをとっている。
その原因の一つが、新卒一括採用である、という記事が日経電子版に出ていた。
「革新阻む新卒一括採用  石田潤一郎 大阪大学教授 」という記事。

今の労働市場での新卒一括採用の位置づけは、まだまだ高い。
その証拠に「就活」という言葉は学生にとって大きな意味を持っている。

キャリア採用(中途採用)もだんだんと増えてきているし、外国人採用も枠を増やしつつあるが、それでも新卒一括採用は多く、それは日本の特徴となっている。

フォーチュン誌のグローバル500という企業群がある。
アメリカのフォーチュン誌が、グローバルで活躍する企業として選んでいるものだ。
日本企業は、2000年に100社以上あったが、2014年には57社に減った。
つまり国際的な企業が減っている(他国の会社が増えている)ということだ。

このフォーチュンの結果を招いたのには、いくつかの要因があるのだが、一つは新卒一括採用があるおかげで、転職意欲が低くなること、と記事はいう。
転職の労働市場はまだまだ小さいからだ。
今まではそのメリットもあった。
新卒で就職した会社に骨を埋めよう、という気持ちで入る人も多かったから、転勤は厭わないし、会社の組織に忠実な人が多かった。
これは年功序列賃金などと相まって、日本の長期雇用のシステムを支えてきたのだろう。
要は、日本人の企業に対する忠誠心が高いわけではなく、そういう労働市場のシステムをとっていた、ということだ。

でも、それもぼちぼちほころんできた。
企業はグローバルでの競争にさらされ、新興国や他の先進国から追いつかれている。
海外にも出て行かないといけないし、日本で余剰の人員を雇っている余裕もなくなってきた。
だから、非正規雇用が増えて今や4割に達そうとしている。
IT化や機械化がそれに拍車をかけている。
実際、人がいらなくなったのだ。

今の企業の大きな問題は、中高年を中心とした高給取りの正社員(の一部)である。
パイは一定だから、中高年の正社員がたくさん取っていると、若い人に回らない。
だから、非正規を増やして対応しているが、それでは社会保障などのシステムが回っていかない。

おまけにもう高度成長の時代ではない。
国内市場は縮小していくのだ。
伸びていくのは高齢化が進むから、すぐに思いつくのは、介護の分野とか、多死の時代が来るので、葬祭や終活の分野などだろう。

新たな産業領域を作る、という意味では「イノベーション」というものが大事だという。
そして、それにはベンチャー企業の方が向いている、ということらしい。

「組織の論理が支配する大企業と異なり、ベンチャー企業の多くは市場の圧力により強く面している。真に革新的なイノベーションはより市場に近いところで生まれやすいといってもよいであろう。」

ちょっと長くなるが、最後の結論の部分を引用する。

「新卒採用は、この人材供給の面で大きな足かせとなっている可能性が高い。自分を売り込むタイミングが新卒時にほぼ限られるなら、そこでの選択が安定志向となるのもやむを得ないであろう。
 一度の失敗を取り戻すことが難しい環境では、起業をすることはもちろん、経営が軌道に乗っていないベンチャーを就職先として選ぶことさえ大きなリスクを伴う。人材はベンチャー企業の生命線だが、新卒採用が生み出す規範と硬直的な労働市場は、新しい企業が実績のある大企業に対抗して優秀な人材を獲得することを極めて困難にする。
 大ざっぱにいうと日本社会は「成功する」ことより「失敗しない」ことに価値を置く減点主義社会である。決められたレールを外れないように注意深く生きることに対するリターンが高い一方、レールを外れて新しいことに挑戦するコストが相対的に高い。
 こうした構造は、経済が発展途上にあり、均質で勤勉な労働者が多数必要な経済では極めて有効だった。しかし現在では、皆がただ失敗しないようにリスクを避けるだけでは、新たな価値や市場を創造することはできない。
 豊かさは人間にとっての普遍的な価値であり、ある段階までは経済発展が全てに優先する目標である。しかし、ある程度の豊かさを達成した社会は、多様性を許容する方向へシフトしなければならない。年齢を基準にして皆で一斉に何かをしないといけないような前近代的な規範からはそろそろ卒業すべきだろう。」

ぼくも今の日本はとても豊かだと思う。
よくテレビでアフリカの栄養失調の子供が出てくる。
あれを見ると、自分でもどうしようかと思う。
結果的に何かをするわけでもない。
でも、やり切れない気持ちになる。

だからといって、これからは、成長しなくてもいいなどとは思わない。
みんなで我慢しましょう、というような意見は絵空事だと思う。
子供が病気にかかれば治したいと思うし、教育を受けることが出来なければ、受けさせたいと思う。
それらを実現するのが、豊かさだろう。

戦後の焼け跡から立ち上がった人たちは、日本を焼け跡の状態から豊かにしたいと思っていた。
それで必死に働いた。
東京オリンピックもやって、新幹線も動き、名神も開通して、やっと日本は世界の国々(これは先進国だが)と肩を並べられるようになった、と喜んだ。

その人たちと、それに続く人たちがいたから、今がある。

もう残りは少ないが、ぼくは日本にイノベーションがたくさん起こるようになってほしいと思う。

そして、少なくとも、リーズナブルな豊かさが維持できるだけの成長は続けてほしいと思っている。


| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
就職大学
就職に特化した大学がある。
偏差値は低いが、就職率は高く、行く先も上場企業が多い、というような学校だ。

プレジデントに特集記事があった。
記事で出てくる学校はいずれも偏差値50以下。金沢星稜大学、玉川大学工学部、大阪経済法科大学の3校。

金沢星稜大学のCDPプログラム(キャリア・ディベロップメント・プログラム)は聞いたことがある。
学長主導で、学校を変えたという記事が以前あった。
地方公務員(警察含む)の受験プログラムを1年からやって、それでまず就職率を上げた。
今は一般就職にも力を入れている。

大学に来たら、いきなり散髪された…、で始まる特集記事。
「スパルタ式就職指導」で実績を伸ばしているとのこと。
就職ガイダンス(課外)も厳しく、遅刻は認めない。始まると同時にドアをロックしてしまう。
会場の外で身だしなみチェックがあり、その場で散髪もする。
就職は団体戦だという。

「2003年の就職率は66%で、そのうち上場企業の内定率は0.9%だった。だが09年の就職率は81%で、上場企業の内定率は39%。就職の質は劇的に向上している。」

「大学生の「就職人気ランキング」では商社や銀行、旅行代理店が上位を占める。だがすべての学生がそうした業種に就けるわけではない。自分に合った業種や企業は説明会や面接を重ねるなかで段々と見えてくる。100社行くのは当たり前――。そんな雰囲気がみなぎっている。
活動の拠点となるのが「就職支援センター」だ。職員だけでなく、進路の決まった学生が常駐。面接に落ちて悔しい思いをしても、センターに来れば誰かが励ましてくれる。思いを共有してくれる。」

効果はスゴイ。

「同大は03年度には定員割れに追い込まれていたが、11年度は定員430人に対し、志願者1610人と「奇跡の復活」を遂げている。入学時から就業意識を高め、団体戦で就活をやり抜く――。堀口センター長による梃入れが、着実に実を結びつつある。」

他の2校もゼミでの指導など、きめ細かい指導をやって、就職実績を上げている。
なかなかできることではない。
それをやるかどうかは別にして…だ。

要するに、どこの大学でも、こういうことをやれば就職実績は上がると思う。
入った時から、厳しく、講座を取らせ、しつけの面も厳しく、「公務員になる」とか「内定を取る」とかいう目標を大学に入った時から意識させ、実際に厳しく指導する、という方法である。
もちろん人がいるし、金がかかる。
でも大学にはいろんな無駄遣いがあるから、それを切り詰めれば金の問題は何とかなる。

問題はだれが旗をふるかだ。
金沢星稜大学の場合は学長が主導した。
学長が理事会を味方につけ、これでいく、という明確な意志を持って、ぶれずに金と場所と人と時間をとる、と宣言することが必要だ。
たいがいの場合は、教授会から何やかやと反対がある。
曰く、人をどうするのか、予算をどうするのか、教室はあるのか、授業と重なったらどうするのか、学生がそっちばっかりやりだしたらどうするのか、そもそもそんなことをするのが大学か…。

学長がやる気にならない場合も、もちろん多い。
教授会を押し切ろうと思うと、やる気がなくなるのだろう。
実際はほとんど出来ないところばかりだ。
だから、就職率が下がり、定員割れが起こっている。

金沢星稜は、一度定員割れをして、実質的に潰れかけたというのが良かったのだと思う。
改革をするのに「このままいったら潰れるぞ」という圧力がかけられる。
うまくいくところは、一度潰れかけたところも多いのではないか。
もちろん、そのまま定員割れしている大学も多いが…。

結局、成功例は公開されており、やる気になったらマネすればいいのだ。
それでも、なかなか出来ない。
そのために、ガバナンスを改革するということになったのは、先日書いたとおり。
あれは国立だったが…。

ただ、ぼくは、ここまではやりたくない。
これでは、夢も希望もないではないか。

大学には夢がないといけないと思う。
何だかわからないが、このキャンパスに来たら何かがありそうな気がする、というような夢だ。
大学が就職に特化すればするほど、大学には夢がなくなっていく。
それはいいことなんだろうか。
あくまで、学生が自分で気づいて、やる気になるような仕組みを作るべきだと思う。
そのためには、先生が頑張らないといけないのだが…。

体育会系のように、就職するぞ!というような「団体戦」は、ぼくはやりたくない。
学ぶ楽しみ、本を読む楽しみはどうなるのか。
本当は、高校まででその基礎をやっているはずなのだが…。
それらがやれていないので、こういうアプローチもアリになる。
でも、ぼくはやりたくない。

やっている学校はそれなりに立派だとは思う。
今の教育システムの中で、大学が偏差値に見合った、担うべき役割を果たしているとも思う。

それでも、だ。

教員がしっかりしないと、大学は大学でなくなってしまうぞ。


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