考えたこと2

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Economistの記事
Economistの記事を見ると、日本の新聞に書いていないようなことが書いてある。
最近は日本語で訳してくれているサイトもあるから、便利だ。

Economistだけに経済関係の記事が多い。
今回はアベノミクスについてのコメント。
なかなかわかりやすい。

アベノミクスについては、こう書いてある。

「安倍氏とそのアドバイザーたちの謳い文句は、賃金が上昇し、消費支出を押し上げ、それが今度は企業の投資を促す好循環が生まれる、というものだった。そうすれば、大当たり、日本はデフレから脱却する、というわけだ。だが、それは実現せず、1つのナゾになっている。
 その一方で、労働市場は逼迫している。その一因は、例えば建設業界などで労働力に対する強い需要があることだ。だが、急速な人口減少も影響している。現在1億2700万人を数える日本の人口は、2060年までに9000万人を切ると予想されている。生産年齢人口は毎年、およそ100万人ずつ減っていく。現在の失業率はわずか3.7%だ(スペインにとっては夢のような話だ)。
ところが、労働市場が逼迫しているにもかかわらず、実質賃金は減り続けている。」

要は、金融緩和でお金があふれ、円安が進み、日銀が国債を買って市場にお金が回り、インフレ気味になり、景気がよくなって消費税3%程度上げても大丈夫、と関係者は思っていた。
人手不足にもなったし、ニュースでも給料は上がったと言っているし、大丈夫なはずだった。
それでも、株価は下がり、GDPは下がり、どうもうまくいかない。

Economistはその原因は実質賃金は減り続けていることにある、という。
人手不足になれば、人を雇おうとして賃金は上がるはずなのに、なぜだろうか。
実質賃金とは実際の賃金でどれだけものが買えるか、といった値で、物価が上がれば減る。
要は10万円もらっても、実際に買えるものが減れば減るということになる。
だから、給料は上がったかもしれないが、買えるものは減り、給料の値打ちは目減りしたということだろう。

なぜ実質賃金が下がったか。
Economistはこう書く。

「実質賃金の低下に寄与している1つの要因は、根が深い。日本の労働市場は、給料が高く、身分が保障されている正規労働者と、社会の最下層を構成している低給の非正規労働者に二分されている。6月には雇用全体に占める非正規労働者の割合が、過去最高水準に近い36.8%を記録した。
 安倍氏が政権を取ってから新たに創出された雇用の大半は非正規労働者の仕事だ。そうした人たちは通常、年次交渉の対象にならない。その多くは女性で、彼女たちは男性より稼ぎが少ない結果になる。
正社員の手厚い保護に切り込めるか?」

そうなんだと思う。
アベノミクスで創出された仕事は、ほとんど非正規雇用の仕事だったのだろう。
非正規労働者が増えていることで、それはわかる。
一方で、日本の雇用慣行で手厚く保証されている正社員の給料は上がった。
人手が足りないのは、パートやアルバイトが足りないということだ。
正社員は余っている。
給料の高い(高すぎる)正社員が余り、非正規の社員が足りない、という現象が起こっているのだ。
証券会社の人も言っている。

「企業はもっと多くの正社員を採用し始めなければならない。だが、大手企業は既に、過剰な給料を得ている生産性の低い正社員を大勢抱え過ぎているとモルガン・スタンレーMUFG証券のロバート・フェルドマン氏は指摘する。いま必要なのは、非正規労働者の賃金と身分保障を手厚くすると同時に、正社員に与えられた過剰な保護措置を削減することだ。」

過剰な給料を得ている生産性の低い正社員、というのはきつい表現だが、当たっていると思う。

そういう社員の給料を下げて、非正規社員の若い人たちの給料を上げ、身分保障を手厚くしないと、GDPも上がっていかないのだろう。

外食産業で、夜間勤務を1人でやっていた会社が、1人勤務は止めるという。
24時間開けるための人件費が、時給1200円程度だったのが、1400円〜1500円にしても集まらないからだ。
よほどきついのだろう。
危ないということもある。

アベノミクスで必要なのは、正社員の枠を緩め、非正規社員の枠を正社員に近づけることだと思う。
そうしないと、若者が消耗する。

そんな社会は長続きしないのではないか。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学のガバナンス2
宮内義彦オリックスシニアチェアマンが日経電子版にブログを書いている。
今年の6月の改正学校教育法と改正国立大学法人法のことだ。

経営者の立場で大学に関わってきて、ガバナンスの不在に驚き、これらの改正法が大事だという記事。

改正学校教育法では、以前書いたが、教授会の役割を大幅に縮小し「学長に意見を述べる」という役割に制限した。
また、国立大学法人法では、外部委員の意見を大きくするため、「経営協議会」における外部委員の数が1/2以上から過半数に変更され、学長の選考基準や結果の公表も義務付けられる。

しごく真っ当な意見だと思う。
大学の自由が守られないというような論調もあったし、大学内部に批判もあるようだが、それに対してはこう書いている。

「一部の先生からは「学長の権限が強くなりすぎて独裁につながる」との反発がでているようですが、先生方が変化を嫌い、教授会を通じて様々な改革提言を潰してきた実態を直視する必要があります。権限集中の弊害を指摘するのであれば、それは教授会にこそ当てはまるはずです。」

実務を知っている人の意見。
一部の大学の先生方は、自分たちのことしか考えられないのだろう。
自分の意見が反映されないからダメだ、というのはコドモの言うこと。
大学という組織を考えれば、自由自由と言っていられないのはアタリマエのことだと思う。

そしてこうも書く。

「先生方は「財務などの経営は理事会にお願いしますが、教学、つまり大学の運営は我々に任せてほしい」と言います。が、そもそも経営と教学を分離するという考えに無理があるのです。こんなすばらしい教育をしたい。そのために良い先生を集めたい。学部、学科の新設や研究設備の増強にも取り組みたい。そのためには資金の裏付けも含めてどのような経営戦略をとるべきか――。このように教学と経営は一体なのです。よりよい教学の為の経営なのです。理事会で経営方針を決め、学長が中心となって執行する。大学改革を実行するためには、こうしたシンプルなガバナンスが必要で、今回の法改正がそれに道筋をつけるはずです。」

思わず拍手をしたくなる。
いくらこんな風に考えても、それが出来なかったのが現実。
それを痛いほど宮内氏も経験したのだろう。

これで国立大学はマトモなガバナンス体制ができると思う。
少なくとも、そのための法整備はできたということだ。
これからの国立大学を見守りたい。

しかし、私学の方はまだまだほったらかしである。
一部の私学は国立よりも進んでいる部分があるが、大多数はまだまだだ。
入学式をタレントにプロデュースさせるというような改革は論外だが…。
たしかに、人さえ集まりゃ食っていけるのは事実だが、肝心の教育の部分がマトモでなければどうしようもない。
どんどん国立に対して遅れていくのだろう。

しかし、これは「大学」なのだ。
昔は最高学府と言われ、教養のある人達が集まっている場所だと思ってきたところだ。
それが今や管理体制を問われる時代。
宮内氏もこう言っている。

「私が少し残念に思うのは、結局は官主導、政府主導で改革が動き出すという事実です。改革の必要性は分かっているはずなのに、大学関係者は最後まで自分から動こうとしなかった。私が理事長を仰せつかっている私立大学の経営のあり方を考える会、「21世紀大学経営協会」の年次総会が7月1日にありまして、文科省の下村大臣と大学振興課課長に講演をお願いしたのですが、その際の質疑応答で、ある大学の学長さんがこんな質問をされました。「改革をしなかったら、何か罰則があるのですか」――。
 あまりに正直な質問で、苦笑いするしかありませんでした。民間といいますか、在野の力を信じている者にとっては、実につらい現実です。」

結局外圧がかからないと、大学は何もしない。
自己点検にしても、同じことだ。
そのくせ、入試の科目を減らして受験生が増えたとなると、すぐに右に倣えをする。
どこに良識があるのだろうか。

この「改革をしなかったら、何か罰則があるのですか」という質問をした私立大学の学長は、何の悪気もなかったと思う。
単に「やりたくない」という意識だけなのだ。
宮内氏は改革の必要性はわかっているはず、と好意的に書いているが、本当にわかっていない人たちの方が多いと思う。
その学長は「私たちは一生懸命やっているのだ。何で変えないといけないのか。」と思ったのだろう。

そこに根本的なくいちがいがある。
一生懸命やっていても、ダメなものはダメなのだ。
出来ないからやらない、というリクツが通るところが大学。
そんなことで、どうやって理想に近づくことができるのか。

文部科学省もいろんな事例を見て、もういい加減に動かないとダメだと思ったに違いない。

それにしてもなあ。

「罰則があるのですか」と言われたら、苦笑いするしかなかっただろうなあ。

宮内シニアチェアマン、ご苦労さまです。



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