考えたこと2

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浅田真央のチャレンジ
浅田真央は今回大会でただ一人、3回転半のジャンプができるらしい。
過去には何人かいるらしいが、それをショートやフリーのプログラムで浅田ほど飛んだのは世界初ということだ。

対するキム・ヨナは、3回転−3回転のジャンプが決まって、ミスのない演技で勝った。
個人的には007の音楽がよかったのだろうと思う。

しかし、ジャンプ一つとっても、ルッツとかフリップとかトーループとかアクセルとか…、フィギュアスケートも難しくなった。

ルールや採点が複雑でわかりにくい。

何でも、トリプルアクセル(3回転半)とダブル・トゥーループの組み合わせは、トリプル・トゥーループを2回やるのよりも、基礎点が低いらしい。
これを専門用語で書くと、3A+2Tの基礎点は、3T+3Tよりも低い、という表現になる。
しかし、難易度は3A+2Tの方が高い、というのが一般的であるようだ。
三回転半のジャンプは、今回のルールではリスクが大きく、リターンが少ない、と言える。
もちろん、それを成功させるための練習のおかげで、他の練習ができず、他の演技を犠牲にするという事も含めてだ。

こういう細かいルールがあるので、戦略が必要になってくる。

基礎点の高い技でミスするくらいなら、基礎点の低い技でも回数を重ねてやるとか、技の中で基礎点と難易度の組み合わせでポイント・パフォーマンスの高いものを選ぶとか、そういう戦略だ。
それが3T+3Tという選択になる。これがキム・ヨナがやった技。
そういう意味で、キム・ヨナの戦略勝ちだと思う。

もしも、今回のルールが3A+2Tの基礎点が難易度に応じて高い、ということになっていたら、浅田が勝っていただろう。

浅田がこだわった3Aはリスクが大きく、今の身体の大きさからしても、難しいものなのだ。
体重が500gr変わっただけで、3Aのジャンプの感触が変わる、というくらいだから、ギリギリの身体能力を使っているのだと思う。

しかし、五輪が世界一というものを決めるという事なら、浅田は三回転半のジャンプを飛ばないといけない。
なぜなら、浅田は三回転半のジャンプを飛ぶことができるからだ。
浅田がこだわった、というよりそうしないといけなかったのだろう。

池田晶子が書いていたが、天才とは自分に与えられた才能を使ってしまう人だ。
それを使わずにはいられない。
だから、浅田のチャレンジは、天がそうさせたものだ。

そして、そのチャレンジは成功した。
ショート、フリーの演技で3回のトリプルアクセルは、史上初。

細かいルールの基礎点など、どうでもいいではないか。

浅田よ、胸を張れ。
君は世界一だ。

ぼくはそう思う。

| | 考えたこと | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
少年のように
ピーターパン・シンドロームというのがある。
いつまでも大人になりたくない、というヤツだ。
これはピーターパンが永遠の少年だというところから来ている。

大人になりたくない、という感傷を持ったことがある人は多いだろう。
大人の世界はきたないとか、権力があるものが勝つとか、ダーティなイメージだとか…。
具体的なイメージがなくても、何となく大人になりたくないという気持ちは、思春期にありがちなものだと思う。
当然、子供と大人の狭間で、未体験の大人ゾーンを恐がる気持ちもあるのだろう。

結構な数の大人が、そういう思いを持ったことがあると思う。
パーセンテージにして、60%くらいの人が一度はそう思ったことがあるのではないか。

しかし、実際に大人になって、そんなことは忘れてしまう。
ああ、そんなこともあったかな、という程度だ。
少なくとも、ぼくに関しては。

それはなぜか?

よく考えてみればわかる。

いつまでも少年のようでいられたら、うっとうしいからだ。
そんな大人はかなわない。
議論をしても、常に正論ばかりで、「そうできたらしてるわい」と思う。
社民党など、そんな感じではないか。

お金はきたない、清廉潔白、こうでなければならない…。

そんなきれいに生きられるはずがない。
大人が生きるということは、妥協の産物だ。
小さな妥協を積み重ねて、交渉して、それで生活が成り立っている。

人間関係はそういう妥協を、いかにするか、というようなものだと思う。

全てが妥協とは言わない。

妥協できないところ、譲れないところがあるのも大人だ。
濃淡が、強弱があるのだ。

妥協できないところを、妥協せずにいくために、妥協がある。

そういう考えを持ってこそ、大人だろう。

いつまでも少年のようなヤツはうっとうしいだけだ。

| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |