考えたこと2

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高井康行弁護士
元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行という人、知らなかったが、こないだBSのニュース番組でいいこと言っていた。

統一教会の問題についてだ。
ぼくが大学生の頃は統一教会は危ないと言われていた。
桜田淳子が合同結婚式で結婚した頃が一番ひどかったのかもしれない。

あれから、紆余曲折を経て、ここ数十年は特に何も聞かなかった。
安倍元首相が暗殺され、犯人がなぜ暗殺したのかを話すまでは…。

山上容疑者の母親が1991年に統一教会に入信して、総額1億円を払って、家庭がめちゃくちゃになったから統一教会は悪い!ということになったらしい。
でも、だからといって元首相を暗殺したことは関係ない。
そんなことを許せば、ひどい目になった人は誰かを殺してもいい、ということになる理屈。
安倍元首相が統一教会とどれだけの関係があったのかはわからないが、犯人の罪も確定していないのに、減刑嘆願を出す人までいる。
日本はどうなったのかと思う。

「反社」というのなら、暴力団や詐欺集団のような罪があるはず。
いまだに、法律的に問題がないような組織を「反社」というレッテルを貼って、関係を持つこと自体がダメだという。
それなら、バックに宗教組織がついている政党はどうなのか。

公明党の支持者は、聖教新聞を一人で複数取るという。
一部あったら足りるものを、なんで複数取るのかというと、それはお布施の代わりだということらしい。
組織の中で位を上げたいということもあるのだろう。

宗教ではないが、共産党の赤旗だって、熱心な支持者は複数取っている。
取らされている、というべきか。

1億円というから大問題だというが、山上容疑者の母親が統一協会を訴えたわけでもない。
昔は「壺を買わされる」という話はよく聞いたが、数百万の話だったと思う。
実際、ぼくの友人の姉弟が親のお金を使って、壺を買っているという話も聞いたことがある。

宗教のその手の話はややこしい。
そんなことを言い出したら、仏教のお布施や戒名料など、怪しいものはたくさんある。
本人が信じてお金を使ったり、世間として認めているからどうしようもない。

ニュースによると、山上容疑者の母親は「今回の事件で旧統一教会を批判にさらして迷惑をかけてしまい申し訳ない」と言っているという。
息子が事件を起こしても、母親がそう言っているのだから、自主的に寄付したのだろう。
それを恨んですらいない、ということだ。

結局「反社」かどうかというのは、気分で決めるのではなく、あくまで法律で決めるべき問題だろう。
誰でも思想信条の自由はあるし、信教の自由はある。
それは憲法で保証されているのだ。
少なくとも、ニュースやワイドショーがそう言っているから「反社」だということではないのは確実。
そう思っていたら、高井弁護士が指摘してくれた。

これは本当にそうだと思う。

以下、高井弁護士の主張
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本はいつの間に全体主義国家になったのか。
自由主義、民主主義はいったいどうなのか。
自由主義や民主主義は異端の存在を認めるか認めないかなのだ。

異端の存在を認めないということに自由主義も民主主義もない。
法律家として言えば統一教会は宗教法人格を持つ合法的な存在。
構成してる人たちの中には被害者の立場の人がかなりいる。

『統一教会の人たちは政治から排除する』と言うがあの人たちも有権者だし、基本的人権を持っている。
政治家に意見も言い、政治家の意見を聞く権利を持っている。

それを全部排除しろと。これが民主主義国家のやることか。
あれが反社なら別だが、立憲民主党も『あれは反社だ』と、はっきり根拠を示して主張して『解散命令を出せ』と言ってるわけでもない。

そういうことを全く言わないでおいて、あの組織に属する人たちを政治の世界から排除する、これはもう独裁国家のやることではないか。
立憲民主党の泉代表は『地方議員も全部調査しろ』と言うが一種の思想調査だ。
思想調査なんて独裁政権のおはこだ。
独裁政権に親和性の強いことをなぜ日本で民主主義政党を謳っている政党の党首が言うのか。

ぼくは極めて違和感がある。
しっかり考えて政治をやっているのかと。
本当に民主主義社会の政党なのかと。

ぼくは非常に強い怒りと危機感を覚えた。
もうひとつ、山際大臣は『うちの事務所には信者はいません』ということを言っていた。
じゃあ『君は統一教会の信徒なのか』と調べたのか。

信教の自由の中には「信教の表白の自由」というのもある。
人に強いられて「私は信仰しています」とか「信仰していません」と言うことを強いられない自由がある。
それはある意味、信教の自由の根幹だ。
山際大臣は、それを侵害したということだ。

あの人は国家権力の一部を持っている人。
それが信教表白の自由を侵害したことをマスコミに堂々と言って、それをマスコミは何も批判しない。
人権について保守党よりもうるさいはずの野党も追及しない。
これおかしくないか。

このまま行ったら日本は意識しないうちにふらふらと全体主義の中に迷い込む。
そういう入口に立っているとぼくは思う。
政治はしっかりしてもらいたい。
政治責任の追及だったら憲法に違反してもいいのか。

人々の信仰の自由、内心の自由を侵害してもいいのか。
そんなことして良いわけがない。

この問題は非常に危険。今の議論のしかたが。
一部の政党、一部の勢力、一部のマスコミは、本当に『被害者を救済しよう』とか『統一教会の実態を明らかにして社会に寄与しよう』とか思っているのではなく、統一教会や被害者の方も上手く利用して反自民、反安倍、反憲法改正をやり遂げようとしている。

これは完全に政治的なキャンペーン、政治闘争だと思って毎日のテレビを見ている。
今の議論が続いてふらふらしてたら、日本はいつの間にか全体的国家になってしまう。

今は統一教会がやられて『いい気味だ』と思っている人がいるかもしれない。
でも統一教会の人たちがこうやって排除されたら次は自分達の番だということだ。

自由主義社会が全体主義に移っていくというのは、まず最も異端とされてる人たちが排除され、それが済むと次に異端とされていた人たちが排除され、段々段々と排除されていって単一の価値しか残らない、そういうことになる。

それが全体主義国家になっていく過程だ。
歴史をよく見て勉強していれば、立派な人たちは、今までの議論の仕方が非常に危険だということは分かるはずだと思う。

立派だと称している人たちが議員をやっているんだから。しっかりしてほしいと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

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