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2025.04.26 Saturday
イギリス最高裁
イギリスの最高裁判所が「女性とは、生物学的に女性であること」という判決を出した。
この訴訟はスコットランドの女性団体「フォー・ウィメン・スコットランド」という女性団体が、議会が「トランスジェンダー女性も女性だ」とカウントしたことに意義を唱えて、「女性専用の病棟や学校などへのトランスジェンダーの人の立ち入りを認めれば、女性の権利が侵害される」と訴えていたもの。 常識的な判決だと思う。 イギリス在住の日本人が、この判決に違和感を感じた、と言っている。 性のあり方が多様化していて、「女性」や「男性」という言葉の意味が、生物学的な性別だけでは語りきれいなものになっている、ということが理由らしい。 「時代に逆行するもの」に思えたということだ。 女性の敵は女性というが、この場合も訴えたのが女性団体で、記事を書いているのも女性。 こういうのが多いような気がする。 ぼくは男性だが、スポーツ競技にトランスジェンダーの人が出るのはどう考えても不公平だし、そういうことがこの問題の根底にあると思う。 差別と区別は違うということだ。 人は生まれたときに男女が生物学的に決まっていて、それで区別するのが当然だろう。 中にはどうしても生きにくいという人もいるかもしれない。 それはそれで個別の問題だ。 それらの人が差別されないようにしないといけない。 それでも、逆に違和感を感じる人がいるのは事実。 前にも書いたような気がするが、アメリカに行ったときに、社内で男性から女性に変わった人がいた。 ぼくが研修していた部署の男性は、彼女?を「it」という代名詞で呼んでいた。 多様性というなら、そういう人の気持ちも認めるべきではないか。 もちろん、あからさまなヘイトは禁止するべきだが、それは常識だろう。 世の中の最大多数は生物学的な男女の区別に従う人たちだ。 最大多数の意見を認めるのが、民主的ということだと思う。 だからといって、トランスジェンダーの人たちを差別する気はない。 いろんな事情があって、そういう事になっているのだろう。 しかし、法律でそれらの人々の権利を拡大して、変わった方の性別の権利を100%保証しろなどというのは暴論だと思う。 アメリカの水泳の選手権だったか、トランスジェンダーの女性に負けた女性が泣いていた。 あれを見ても、権利行使が正しいと思えるのだろうか。 イギリスの最高裁は、わざわざ「今回の判決で社会の一方の集団が勝訴し、他方の集団が敗訴したと受け取らないよう忠告する」という一文を付け加えたらしい。 まことに常識的に判決だと思う。 さすが、イギリスだ。 これが世の中の標準になればいいと思う。 |
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