考えたこと2

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護憲の呪い
安倍元総理の葬儀が終わったが、安倍氏の死についていろいろ書く人がいる。
主張の違いはわかるが、かりそめにも元総理だから、言い方もあるだろう。
さらに、こういうテロが起きたことに関して、それをテロではないという人までいる。

事件の後のツイッターでのつぶやきだ。

「テロが言語道断なのは論を待たないが、反動を平和的に退場させられるはずの民権力が皆無無力だから血盟団が起きる。だから識者は単にテロは民権の敵と書いたらいけないよ。それはテロ連鎖を止めない。批判がタブー化して改憲がプログラム化した。」

「さらにまた、安倍元首相が亡くなった場合、これを「政治に笥れた偉大な犠牲者」のように祭り上げることにも警戒しなければなりません。それは安倍の取り巻きとしておこぼれを得ていた連中が、そのおこぼれを継続しようとする行為に過ぎません。それこそ死体までしゃぶりつくす行為は、悪いことです。」

反原発派の小出裕章氏に至っては、

「アベさんが銃撃を受けて死んだ。
 悲しくはない。
 アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。
 アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。
 彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。
 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。」

とまで書いている。

一方で、それらの人を批判する人もいる。

「「アベシネ」とかマスクをブルドーザーで弾いたりとか、安倍氏に対するものは批判どころじゃなくてヘイトそのものだったんだけど。それに対する反省ってホントにしたくないんだろうなあ…このツイートに、反発してる人たちって。
表現の自由だとかそういう話じゃないんだよ…」

ぼくは安倍氏に対する異常なヘイトはやはり「護憲」の意識だと思う。

彼が集団的自衛権についてのアメリカの要望を認め、アメリカが攻められたら日本もそれに参戦するという憲法解釈が、護憲派の人たちの神経に触ったのだろう。
というか、その事自体の意味がわかっていない人たちまで「改憲反対」ということで一致団結してしまった。

でも、その人たちがいくらヘイトの声を上げても、彼は選挙で勝ち、ヘイトする人たちはもっともっとエスカレートした。
不毛なことだったと思う。

1970年代にティーンエージャーだったぼくらの時代は、まさに冷戦で、社会党が一定の勢力を持っていた。
今でも思い出すのは、中学校の時、弁護士になろうとしてなれなかった社会科の先生が、第二次大戦中のアメリカを批判し、それでいてアメリカが作った憲法9条を賛美していたことだ。
今から思えば、だいぶ歪んだ歴史観だったと思う。

今の60代以上の世代は、そういう教育を受けてきた世代。
日教組が強かった時代でもある。

ぼくも若い頃は無邪気に「憲法9条は守るべき」だと思っていた。
戦争を体験した世代の人たちが、そういう教育をしてきたからだろう。
それはそれで仕方のないことだったと思う。
ぼくは30代、40代でその考えは変わった。

それにしても、護憲派やマスコミの一部の人たちがここまでヘイトを盛り上げたのには驚く。
絶対平和主義と「アベシネ」というヘイトが同居しているのだ。

これが、戦争世代の人たちが残した「護憲の呪い」なのだろうか。
「相手が公人ならば、何を言ってもいい」という言論の自由は成り立つのだろうか。

この状態は安倍氏が暗殺されても終わりそうにない。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) |

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