![]() |
2022.07.01 Friday
文章能力
20年ほど塾の講師をしている人が、「国語力の低下は深刻だ」と言っている記事を見た。
中学3年生で作文に自信がない子の書いたものを見たが、支離滅裂で言いたいことがわからないという。 その講師は学校で返却された作文を見たが、誤字脱字の指摘がある程度で、添削はされていないという。 スマホでのコミュニケーションはスタンプの連打だったり、短い表現であり、考えたことを書く力がなくなっているのだろう。 それは大学生になっても同じだ。 内容を話しているのに、それを文章にできないという学生が多い。 これはどういう意味?と聞くと答えられる。 それを何度か繰り返し、なるほど、そういうことかということになり、それではそれを文章にしようというと、それは無理という。 無理ではない。いま話した内容だ。 それが頑なにできないという。 どういうことなのだろうか。 彼らの中では、話すことと書くことは別の次元になっているのだろうか。 話した内容を書く、というのは自然なことだと思う。 話したことを覚えておくために、それを書き記すということだ。 そういう作業は日常的にあるのではないだろうか。 それができないというのはどういうことなのか。 なぜ話せても書けないか。 この問題が解決すれば、文章能力は上がると思う。 だいぶ前にも同じことを書いた。 あの頃から、若人たちのコミュニケーションはメールからLineになったのは事実。 言葉をスタンプで代用したり、非常に短文でのやり取りになっている。 だから、長い文章が苦手ということかもしれない。 話せるけど、書けない。 文章を書くということは、頭の中の思考をまとめるということでもある。 話すことは第一段階で、それを書ければ第二段階なのかもしれない。 この第二段階に壁がある。 ずっと考えているが、この壁を超えるための方法は何だろうか。 国語学者がこれを解決してくれると助かるのだが…。 |
![]() |