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2021.08.21 Saturday
教員養成の問題点
ぼくが勤務していた大学で関わった教員志望の学生の印象は、決して良いものではない。
もともと教員養成系の学部ではないから、要は教職の単位を取って、教育実習に行けば一応教員免許は取ることができる。 それで、採用試験を受けて通れば、中学や高校の教員にはなれる。 でも、実際に卒業後すぐ正規教員になった人は数年間で数えるほど。 資格・免許志向の学生とかぶるのだが、こういう学生は安定志向が強い。 資格や免許で守られている、という感覚があるのだろう。 持っていれば安心というタイプだ。 それで就活の時期が来て、民間を受けるのも厳しそうだから…、というわけで消去法で教員の道を選ぶ。 そういう学生が多かったのは事実。 下位の大学では、こういうタイプはモラトリアムというか、普通に就職することに対して尻込みする学生が多い。 だから、資格を取って先生になろう、ということになる。 資格というのは、大学にとって志願者を集める手段みたいなものだ。 その資格を取ることと、就職が直結していなくても構わない。 大学のパンフレットは、こういう資格が取れます、というカタログみたいになっている。 実際はほとんどがサラリーマンになるのに、そこは関係ない。 下位の大学では、教授も多くはモラトリアムだった人だからだ。 だから、資格を重視するのだろう。 必ずしもそういう学生ばかりではないが、そういうタイプが多いから、学校が社会に開かれないようにも思う。 自分たちは、民間企業とは違うのだ、と思っているのだ。 もちろん、民間の考え方で教育はできない。 それでも、効率化とかIT化、ガバナンスなど、民間の考え方を取り入れたほうがいいこともたくさんあるのは事実。 おまけに、小学校の教育など、新しいことをたくさん始めようとしているが、それに体制が追いついていないのもある。 ICT化やプログラミング教育、英語教育など普通は先に教員養成の方を変えて、それから計画するのが妥当。 それを付け焼き刃でやろうとするから、無茶苦茶になる。 タブレットを配って、それを鍵盤ハーモニカの代わりに使うなどというのがICTの活用のはずがない。 そういうことをすべて文科省が自分のテリトリーでやろうとしているから、ダダ遅れになる。 まずは民間の活用だ。 それしかないと思う。 |
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