考えたこと2

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新人類
子供の頃にてんかんで脳の切除手術を受けた人がいる。
もちろん、最後の手段で切除になるのだが、生後3ヶ月から11歳でそれを受けた人たちを研究した結果が載っていた。
驚いたことに、これらの人たちは普通に認知機能があり、不自由なく生活をしているという。

先天性で、脳の右半球と左半球が切れている人もいる。
まれに、MRI検査などを実施してそれがわかって驚かれたりする。
そういう人も、同じように普通に生活を送っている。

もちろん例外はあるのだろうが、脳は半分でも人間の機能は果たせるということになる。
腎臓は移植して一つになっても、生きていけるのだから、同じようなものかもしれない。

残った脳を研究した結果、通常の脳よりもネットワークの結合数が多かったということだ。
ネットワークの種類は同じだが、それぞれの数が多いということらしい。
その程度の差で、どちらかの半球がなくなっても、代替えできるということだから、脳のポテンシャルはかなり大きいということになる。
つまり、ぼくらは脳の能力の半分も使っていないのだ。

それがSFのテーマの「新人類」などで出てくる。
見た目は同じだが、すごい能力を持っている。
念力でものを動かすとか、人の心を読むとか…。

たしか、平井和正原作のエイトマンの最終回は「新人類」との戦いだった。
脳の潜在能力から言えば、これはあり得る話だ。
ぼくが最初に「新人類」という言葉を知ったのは、SFだった。

ところが、いつの頃からか「新人類」という言葉は意味が変わった。
80年代くらいから、当時の10代、20代の人達を新人類と呼ぶようになったと思う。
「今年の新入社員は新人類」というような使い方だった。
新人類の定義が変わって、SFのそういうジャンルは減ったのかもしれない。

最近「新人類」という言葉を聞く機会は減ったが、SFというジャンルもあまり認知されなくなって、消えてしまった感がある。

もしも今度また「新人類」という言葉が使われるとしたら、本当にすごい能力を持った人類が生まれる時かもしれない。

エイトマンの最終回は「新人類」の子どもが3人ほど出てきて、恐ろしかった。
後日、さすが平井和正と思ったものだ。

「新人類」はどうなっていくのか…。



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