考えたこと2

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偏差値の何がいけないか
偏差値教育の見直しという話が日経に出ていた。

実際、大学に関わった仕事をしていて、偏差値の何が悪いかを考えさせられた。
これは簡単だ。
偏差値では集団の中での位置付けはわかるが、その集団の実力はわからない、ということだ。

偏差値というのは、平均を常に50にする。
そしてその平均から、どれだけ離れているかということを、数学的に表す。
対象となる集団を母集団と呼び、通常はこれがその試験を受けた受験生全体だ。
だから、母集団のなかで高いところにいれば、偏差値は60や70になるし、低いところにいれば、40や30になる。
でも、その母集団の実力はわからない。

例えば、英語の実力が毎年少しずつ上がっていたり、落ちていたりしても、それは偏差値には現れない。
平均値はすべて50だからだ。
だから、偏差値で世の中が測るかぎり、教育の問題は教育界しかわからない。
学んでいる生徒自身すら、自分たちの実力を知ることができないのだ。

例えば、内田樹のページによると、「大学サイドから見ると、新入生の英語力は年々劣化を続けていることは手に取るようにわかる。」と書かれている。
でも、教育界の外にいる者たちにとっては、まったくわからない。

算数も同じだ。
前に書いたが中部経団連の調査によると、80年代に9割ほどできた問題の正答率が、なんと4割になっている。

生徒も、同学年の中での位置付けしかわからない。
教えている先生方すら、だんだんと下がっている、という危機感が持ちにくい。
すべて入試は偏差値の世界だからだ。
平均値が毎年1点ずつ下がれば、10年で10点、20年で20点下がる。
それでも偏差値は変わらない。

それが偏差値の一番イケナイ点だと思う。

これを一番喜んでいるのは、文科省ではないか。
生徒たちの義務教育のレベルが下がっているという証拠がなくなるからだ。

いい加減に偏差値至上主義は卒業し、実際にできることを増やしていかないと、人材は育たない。
それを阻害しているのが「偏差値」というシステムなのだと思う。

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