考えたこと2

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仏教もここまできたか…
「エンディング展示会」という、葬儀や埋葬、供養に関わる設備やサービスの展示会があるらしい。
そこで、ソフトバンクの人間型ロボットがお経を上げるというサービスを展示している。
ネットでBBCニュースが報じていた。

イギリスの記者も、奇異な感じがしたのだろう。
袈裟を着たペッパーが横向きに持った棒で木魚を叩く。
クリスチャンから見れば、宗教と科学はある種対立するものであり、もちろんロボットが読経をするというのはヘンだ。
日本人のぼくから見ても、びっくりするのは事実。

目的は葬儀での読経。
人間の僧侶が不足している等の環境要因もあるが、人間に頼むと値段が高いのもある。
記事では、人間が数十万かかることもあるが、ロボットなら5万円程度とのこと。
もちろん、日本人の業者がやっている。

日本の仏教は平安時代に入ってきた。
それはある程度難解な経典を詠んで、修行をした僧が、世俗から離れてやっていた。
どちらかというと、貴族の宗教だったのではないか。

それが、鎌倉時代に法然や親鸞が出てきて、世俗宗教になった。
大衆化したということで、それ自体はいいことだと思う。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば往生できるという、わかりやすさもあった。

江戸時代に入って、幕府が檀家制度を定め、寺に人々が従属するような仕組みができた。
これが布教するという努力をなくさせ、仏教を堕落させたと思う。
この時代に、僧侶による葬儀が一般化したらしい。
Wikipediaによると、「此の事に依り、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み定期的に収入を得るばかりの、変化のない生活に安住する様になっていった」と書いてある。

それ以来、日本人の葬儀には、一般的にお寺が絡むようになった。
僧侶は素晴らしい人もいるんだろうが、世俗的な人もたくさんいる。
ウチの実家の四十九日に来た僧侶は、読経が終わったあと自分の跡継ぎの話をして、「自分が死んだあとは心配だ」と言った。
お参りに来て、いう言葉ではないだろう。

京都では、拝観料への徴税ということに対して、いろんな宗派が一致団結して反対し、結局廃止されたという経緯もある。
布教するという努力が、宗教を活性化させるのだが、それをほとんどせず観光客からぼったくるという姿勢で一致団結したのだ。
西本願寺にある本願寺会館など、流れ作業で法事の読経を順番にやっていて、宗教行事という気がしない。
どこまでが宗教事業で、どこからが営利事業か、線引きは難しい。

そんな状態だから、アマゾンでお坊さんを葬儀に呼ぶという会社ができたり、今回ロボット坊主が出てきたりする。
誰がどう見ても営利事業だから、お寺も文句をいいにくいんだろう。
アマゾンの時のように、そのうち仏教協会がなにか言いそうな気もするが、言っても需要があるのなら仕方がない。
みんな、僧侶がありがたいと思っていないからだ。

仏教もここまできたか…、という感じ。
BBCのニュースビデオでは最後に僧侶姿のペッパー君を後ろから写して、「かわいそうに」というテロップがでた。
その前に「まだペッパー君が葬儀を執り行ったことはない」とあったが、それに対して言っているのかと思う。
でも、イギリス人のクリスチャンから見て、日本人が「かわいそう」というふうにも見えた。

ぼくの葬式の時は、ロボットに頼もうかな。



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