考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
手紙文化
朝のドラマ「ひよっこ」は昭和の時代。
ヒロインは茨城県から高校を出て集団就職。
ラジオ工場で働いていたが、そこが潰れ、食堂で働いている。

当時、電話はもう普及していたが、ややこしい話になるとやはり手紙だ。
あんまり長いこと市外局番で話したりできない。
実家との連絡や、行方不明の父を探してくれた警官との連絡など、少し込み入ったことになると手紙を書く。

もちろん、右から左の縦書きだ。
出てくる人はみんなきれいな字を書く。
この頃の人は、みんな字がきれいだったのかと思うくらいだ。
便箋に何枚かの内容を書く。

たしかに、この頃はメールもないし、FAXもないから、手紙が大きな通信手段だった。
当時の文学者の全集には、書簡集などもあった。
太宰治の書簡集は読んだ覚えがある。
金を貸してくれとか、賞を取りたいとか、わりとそういう下世話な手紙が多かった。
ゴッホも書簡がまとまって残っており、小林秀雄がそれについて書いていたりした。

これからはもう書簡集など出ないだろう。
手紙というと、最近はダイレクトメールしか見たことがない。

手紙からメールに変わったことで、一番大きいのは、伝わる時間と手間が大きく減ったということ。
こないだ、現代の代書屋のドラマがあったが、手紙を代書するときの作法が描かれていた。
まず、封筒と便箋を選び、ペンの種類、インクの色を決めて、その上で正座して書く。
あれはちょっと誇張されているが、それでも感じはよく現れている。

手紙を書くというと、少し改まった気分。
拝啓で始めるのか、前略で始めるのか。
季節のあいさつはどうするのか。
本題はどう切り出すか。
文机に正座するわけではないが、そういう手順を踏んでいると、自然と背筋が伸びてくる。

今はぼくらはメールだし、若い人たちはラインなどのチャットだ。
まだメールなら長文もあるが、チャットなら本当に短文。
すぐ読まれることが前提の文章になる。
待つことの良さがなくなってしまった。

そういえば、授業でもプリントを配らないと、板書をスマホで撮ったりする学生がいると聞く。
板書を写真に撮るというような発想は、スマホ世代だ。
でも、自分でノートに書くという行為を通じて、覚えたりまとめたりするのだが…。

手紙世代の人たちは、ぼくらのメールの文化を同じように見ているのかもしれない。
いつの世も、消え去るものには郷愁がある。

またその中から、新しい文化が生まれてくるんだろう。

| | 考えたこと | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/236599
トラックバック