考えたこと2

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己を知ること
己を知ることが、学問の目的だと大滝秀治が映画で言っていた。

自分はなぜこの世に生まれ、存在しているのか、それに答えるのが学問の努めだということだ。
どこかの寺の和尚が寅に言った一言。

小林秀雄も同じだ。

今の学問は研究すればよい。研究成果の本も出版社が出してくれる。研究など簡単なものだ。
昔の学者は研究して、己を知ることの答えを得なければならない。
なぜ生きているのか、人生とは何なのか、どう生きればいいのか…、聞かれたら答えられなければ、学者ではない。
その上、本は自分のお金で出版する。自分が生きている間に、本が出ることなどめったにない。
昔の学者は副業をしながら、お金を貯めて、それで出版していたという。
だから、今の学者は…と小林秀雄が言ったのが40年ほど前。

小林秀雄は当時の学問が、物理学に理想型を求めて、実験や理論に走り過ぎた、というような事を言っている。
本当はそういうものよりも、想像すること、感じることが大事、ということだ。
研究などたいしたことではない。
昔の事は、昔の人の気持ちになりきって、それで考えるということが必要、と言っている。

そういう学問の姿が、どこかに行ってしまった。

研究で競うから、誰もやっていない対象を探す。
誰もやっていないから、それを研究したら「初めて」という価値が少なくともつく。
しかし、それを研究するのは単に「誰もやっていない」というだけだ。
そういう理由で、重箱の隅をつつくような研究が増える。

そんなことよりも、自分で想像すること、感じることが大事ではないか。
たとえやり古されたようなテーマでも、自分が本当に興味を持つことを研究し、そして何かを想像し、感じることが必要とされているのではないか。

小林秀雄が「今の学者」と言ったのは40年前。
今の学者を見ていたら、彼がどう言ったか…。


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