考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
桜桃忌 その2
去年、たしか太宰治のイベントを桜桃忌の日に書いた…と思っていたら、今年が太宰生誕100年でたくさんの人が訪れたとのこと。

おかしいなあ…と思って見直してみると、去年は60回忌だった。
死後60年ということになる。死んだのが39歳だったから、今年は生誕100年か。

芥川賞がとれず、審査員の一人にボロクソに書いた手紙があるかと思えば、翌年懇願する手紙を書いたりする。
借金の手紙もたくさん書いている。
青森の生家がが紹介されていたが、たいへん大きな家。何でも当時青森で3位の地主だった…とのこと。
でも、その親に勘当され、見返してやろうと思っていた。

来ている人にインタビューしていたが、太宰の魅力はそのプライドと、うらはらななさけないところにある、という。
また、今読んでも古くないとか、言葉が新鮮だとか…。
あっけらかん、と語っている。

たしかに、言葉は印象に残るものがある。
当時コピーライターという職業があれば、その道で食べていけたかもしれない。

でも、インタビューを受けていた、大学院で太宰治を研究している女性を見ていると、何か違うなあと思う。

太宰が死んでから生まれたぼくですら違和感を感じるのだ。

その時代はまだ日本が貧しかった。でも、戦争から立ち上がろうとするパワーがあったと思う。
その中で、あの退廃的な部分を持って、心中を2回もしたりする…、そんな人生であの小説を書いた。
もちろん私小説もあるが、本当の小説もある。
私小説はなさけない部分であり、本当の小説、特に短編はプライドというか、天才の部分だと思う。
でも、太宰治はそんなにあっけらかんと語られる作家ではないのだ。

もちろん、読者の数だけ読み方はある。
作品は作者を越えて一人歩きするものだ。
だから、大学院生がそう思うのはかまわない。

当時のぼくは、太宰治を語るときに、なぜか屈折した気持ちを味わったものだ。
そんな、息が詰まるような気持ちを伴わないと語れない。

そういう作家だと思う。

でも、太宰治が見直されるのはいいことだと思う。


| | 考えたこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/233880
トラックバック