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2007.07.07 Saturday
いとし・こいし
関西では「いとこい」と略すが、正式には「夢路いとし・喜味こいし」という兄弟の漫才師だ。
長らく活躍し、2003年に兄のいとしさんが亡くなって、聞けなくなってしまった。 亡くなる少し前まで、上方漫才まつりなどに出ていたが、いとしは舞台の袖からマイクのところまで歩いてくるのがしんどそうだった。 それでも、漫才になると声が出て、しゃべくり漫才の味を出していた。 ちょうどぼくが生まれたころから活躍を始めたと思う。 小学校のころ、父のお古のソニーのトランジスタラジオ(この言葉も古くなった)を借りて、夜中にやっている寄席の番組を布団の中にもぐり込んで聞いたのがいとこいの漫才。 笑って声が出そうになるのをおさえるのに苦労した。 いとこいと並んですごかったのが、ダイマル・ラケット。こちらも兄弟の漫才だった。 彼らの漫才はどちらかというと、荒唐無稽なネタの面白さが特徴だったが、いとこいの漫才はありふれた日常の中からネタを作り、いつの間にか引き込まれて笑ってしまうというものだ。 演目名がそれを表している。 「花嫁の父」「娘の縁談」「交通巡査」「迷い犬探してます」「親子どんぶり」など。 今の若手の漫才のように、最初からテンションをあげて話すような事はない。 いきなりマイクの前で世間話をするように始まる。 だいぶ前にNHKのラジオで特集があり、それをカセットに録音したものを持っている。 何度聞いても面白い。 その番組の中で、兄のいとしが病弱だったこと、そのため兵役を免れたこと、弟のこいしは戦争に行って、帰ってきたことなどの話があった。 焼け残った大阪の家に、軍服のこいしが帰ってきてみると、いとしと父親がちょうど出てきて、「帰ったか」「ああ」という会話をした、という思い出話が語られていた。 こいしは神戸の実家のそばに住んでいた時期があって、同じ小学校に子供が通っていた。 小学校の運動会で一度いとこい2人が揃って見ていて、あわててメモの切れはしを持っていって、サインしてもらったことを覚えている。 当時、テレビのレギュラーも持っており、人気者だった。その2人にメモの切れはしは失礼だったろうが、子供と同じ小学校の生徒ということでサインしてくれたんだろう。 そのメモの切れはしは、すでにどこかに行ってしまったが…。悪いことをした。 うちの子供が小さいころ、いとこいの漫才が好きで、よく聞いていた。 小学生にも大人にもわかる漫才という、彼らの目指すところが表れている。 戦後の上方漫才の巨匠である。 今日、いとこいの漫才全集のDVDが届いた。 付いていたリーフレットを見て、本当になつかしくなった。 今の若手の漫才とは全く違う、「しゃべくり」の芸がある。 今日は七夕。 去年の七夕には、自分の落語のことが書いてあった。 今年は漫才…。 でも、夢路がいとしく、君が恋しいという芸名にはぴったりだろう。 |
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