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2016.01.30 Saturday
死に方
この年になってくると、ぼちぼち死に方を考えておかないといけないと思う。
しかし、それを考えておいても、なかなか思うようには死ねない。 死の質、Quality Of Death略してQODという言葉がある。 これが3年前初めて国の「社会保障制度改革国民会議」の報告書に載った言葉。 これらに関する記事を読んだ。 その中にスウェーデンやオーストラリア、オランダなどの記事があった。 何度か同じようなことを書いているが、彼らの考えははっきりしている。 『「スウェーデンでは、肺炎は高齢者の友達なので抗生剤を使わない。おしっこが出なくても利尿剤に手を出さない。看護師が血圧や尿量を調べることもない」と話す。行わない医療として、このほか昇圧剤、点滴、経管栄養、血液透析、人工呼吸器装着を挙げた。いずれも日本のほとんどの病院では当たり前に行われている。 翌年訪問した豪州のナーシングホーム(特別養護老人ホーム)では「口から食べるだけ、飲むだけです。食べなくなれば約2週間で亡くなるので、寝たきり老人はいない」と報告する。 確かに、豪州政府発行の「緩和医療ガイドライン」(2006年版)を読むと、「無理に食事をさせてはいけない」「栄養状態改善のための積極的介入は倫理的に問題」「経管栄養や点滴は有害と考える」とある。延命治療からの離脱を国が率先して指導している。 オランダの施設で「なぜ、点滴や経管栄養をしないのか」と宮本夫妻が尋ねると「倫理です」と当然のような言葉が返ってきた。オーストリアでも「食べないのも患者の権利です」と断言された。 さらに衝撃的な事実も報告する。米国西海岸の2つの施設では「スプーンを口元に近づけない」、つまり食事介助をしない方針を聞いたと言う。 欧米で点滴や経管栄養をしない理由として(1)尊厳の尊重、即ち倫理であり(2)本人の意思(3)医療費の抑制の3点を宮本顕二さんは挙げる。日本では、医療保険で緩和医療がガンとエイズに限定されている制約が大きい、と指摘した。』 あまりにも死に対する考えが違うのに驚く。 これらの方針は、国民が納得して支持しているからこそ、断言できるんだろう。 日本で当たり前に行われている高齢者の治療が、行われてない事実。 QODとはただ生きているだけでいいのか、という生の質の問題とも言える。 生きているというより、施設の金儲けのために生かされているというような状態が日本にはある。 食べさせるのが大変だから、胃に穴をあけて栄養を流しこむ。 そのほうが食事介助が要らないから楽だ、ということだ。 もちろん、みんながみんなそうだと言っているのではない。 そういうところもある、ということだ。 少なくとも、そこに「食べないのも患者の権利」という考え方はない。 死の問題は誰もが避けては通れない。 それなのに、その議論がおざなりになってるのはどうしてだろうか。 それは、日本人には西洋にはあるような宗教がないからだと思う。 宗教というのは必ず死につながっている。 日本には仏教があるではないか、というなかれ。 日本の仏教は死を金儲けの道具にしてしまい、本来の死生観をなくしてしまった。 お釈迦様の開いた悟りの中には、今の葬式仏教のことなど出てこない。 ましてや、それで金儲けをするというようなことなどない。 本来なら、宗教家が死について話すべきなのに、そんな宗教家はいない。 死で金儲けをしている後ろめたさで、死の事を考えることができないのだろう。 もはやそんなものは宗教などではないと思う。 だからこそ、一人ひとりが死と向き合って答えを出さないといけない。 そういう声がぼちぼち上がってきたかなという感じだ。 国も財政的に苦しくなってきたから、ようやく重い腰を上げようとしている。 でも、動きは遅い。 国民の意識を変えることができるんだろうか…。 ここ10年くらいで変えないといけないと思う。 |
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