![]() |
2025.06.12 Thursday
認知症と社会性
今朝NHKのニュースで、認知症には当事者の社会とのつながりが大事だ、ということを「認知症に詳しい医師」が言っていた。
認知症になった母を見てきて、ぼくもそう思う。 母の認知症が決定的にひどくなったのは、コロナの時に大腿骨頭骨折で入院していた時だ。 あの3ヶ月の入院で、決定的にひどくなった。 老人ばかりのリハビリ病院だったので、面会は初期はできず、洗濯物を取りに行って持って帰るだけ。 個室だったが、入院の途中からテレビもつけず、ぼくが行っても誰だかわからない時もあったと思う。 認知症の患者を診ている医療者なら、誰でも人と話すことが大事、ということはわかっているだろうと思う。 専門家と名乗るのなら、そういうことをコロナ禍であっても言うべきだったと思う。 いまだに病院ではマスクをしないといけないなど、もうバカバカしい。 よほどコロナで儲けたのか。 退院前に当時入っていたサ高住のケアマネが様子を見に行ってくれて、もうサ高住ではムリ、と言われた。 それはそうだろうと思う。 誰が来たかもわからなくなっていたからだ。 サ高住を引き払って、弟と二人で引っ越しをして、ホームに変わった。 同じ系列で、2件目でちょうど空きが出たからラッキーだった。 退院して、入居の日にぼくの家に来て、夕食を一緒に食べた。 その時に、もう母はいないのだと思った。 そんなことを思うことは、悪いことだと思うが、それが正直なところだった。 それからホームに帰って、1年目は実家から持って帰った昔の写真を見せると、時々思い出して話をしてくれる時もあった。 時には笑みも見せた。 ホームの人が母が笑うのを見て、びっくりしていたのが印象的だった。 もう自宅では世話はできない状態だと思った。 そういう人がコロナでたくさん生まれたと思う。 今朝、医師が社会とのつながりが大切などと言うのを聞いて、そんなことは当然だと思って、腹が立った。 どうして、あのコロナの時に、認知症の患者には特別な対応ができなかったのだろう。 認知症の患者を、規則で外と接することを禁じるのは虐待だとすら思う。 今頃になって、わかりきったことをマスク顔で話す医師を見ていて、情けなくなった。 |
![]() |