考えたこと2

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パソコンをカタカタ打つ
事務の仕事というと、今はパソコンの前に座ってキーボードをカタカタ打つというイメージになった。
電話は減り、メールが増えたので、オフィスは以前より静かだ。

そのかわり、取引先との直接メールのやり取りなどもあるので、カタカタも気を抜けない。
メールの使い始めは、社内だけのメールだった。社外は電話やFAXだ。
それでも、メールは頼む側から見たら便利だということで、だんだんと電話やFAXを侵食していった。
頼まれる側はどうしても弱いので、なし崩しに広がったというのが実情だろう。

今や事務の仕事でキーボードを打つというのは、メインの業務ということになる。

となると、生産性を上げるためにはとりあえず早く打つことが必須となる。
ところが、今はキーボードアレルギーの人が多いという。
スマホネイティブになっているからだ。
今やスマホのフリック入力で卒論を書くツワモノもいる。

たしかに、彼らのスマホ入力を見ていると、早い。
予測変換を上手に使うのだろうか。
ただ、ほとんどのやり取りがLineなので、そんなに長文は書かないようだ。

また、何かを書かせると、スマホを触る学生が多い。
これはサボっているのではなく、スマホで字を調べているのだ。
それでも時々誤字がある。

だから、仕事でパソコンを使うと、文字変換で間違ったものを選ぶことも多いのだと思う。
「変身お待ちしています」というやつだ。
「仮面ライダーか」というツッコミを入れたくなる。

これだけキーボードが大事になっているのに、どうしてキーボードの勉強をしないのだろう。

世の中に、正式の書類はキーボードで打つ、という時代が来ているのに、そのための教育ができていない。
今の大学生に聞いても、キーボードは苦手、という人が圧倒的だ。

教えなければならない事と、教えている事がミスマッチを起こしている。
2006年までは、まだ大学では情報教育を結構やっていた。
ところが、高校で「情報」が必修になったということで、それを必修から外したり、なくすところが増えた。
実際には高校の「情報」はまともに教えられていない。
教える先生がいないとか、受験に関係ないということで、違う科目に読み替えられているのが実情だと思う。

キーボードで字を書くことを前提に、どういう漢字教育をしたらいいかなど、ぜひ議論してもらいたい。
ぼく自身、漢字が書けなくなったが、20代までは字を書いてきたので、まだなんとかなる。
しかし、スマホで育った彼らは、本当に字を知らないし、誤字が多い。

これからの時代、教える世代が、習っていないことを教えることが必要だ。
だからこそ、教員養成課程を変えていかないといけないと思う。


| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校内塾
少子化の生き残りをかけて、民間の教育産業が学校内に塾を作ろうということになっているらしい。
ある会社は、私立の中高一貫校に個別指導のブースを作っていて、この1年で倍増する計画らしい。
教員の時間やノウハウに限界があり、民間の力を活用したい学校側の意向もあるとのこと。

公立校でもそういう動きがあるという。
こちらは英語に限ったり、経済的に苦しい生徒の個別指導などを請け負うという形。

これ自体は悪いことではないが、そうなると一体先生の仕事は何なのだろうか。
教えることが第一ではないのか。
他の雑務が忙しいのなら、それをどうにかするべきであり、教えることに注力できる体制を作らないといけないと思う。

学校やクラスの運営という仕事も大事だとは思うが、いじめの問題等を見ていると、学校がまともに機能していないとも思う。
学校の運営や事務などは専門家に任せるべきだ。
学校というところは何でも先生がやろうとする。
それがそもそも間違いなのだと思う。
先生は教科を教えるのが主目的のはず。

生徒や親が多様化し、雑用が増え、親対応も増え、そのうえクラブ活動などもある。
まず第一に考えないといけないのは、教えることだ。
クラブ活動などは、地域に委託するとか、やめるとかしたらいい。
文化部など、たくさんなくなっているのだから。

それが委託業務になる、というのはそもそも教員になる素養がないということではないか。

事務仕事や親対応は事務職員を入れてやればいい。
学校経営も民間企業経験者がやればいい。

少なくとも、公立学校ではそういう体制を作るべきだ。

何でもかんでも先生ができるわけではない。
教科を教えることがコア業務なのだから、そこは守れないと、間違っているということになる。

その他の業務を委託するのなら、構わないが…。

実際、コア業務を委託する事態になっているということが、教員養成課程をもっとちゃんとやらないといけない、ということを表しているのだと思う。

文科省は黙ってみている場合ではないぞ。

| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |